Sculptor Eiji Nitahara

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・・・・そうであったのか!・・やはり・・。読み終わって暫く僕は呆然としていた。軽い目眩に目の前の風景が形を失い灰色の霧雨に変わっていた。疲れきって僕は、手に負えそうもない重い時間の茫々とした渦の流れに漂っているのを感じていた。渦の中心は見えなくて、S..I..氏や彼の兄、その兄と共に死んでいった名も知らぬ若者達、その恋人、その家族、そして数知れない人間の群れが巨大な渦のうねりの間に見え隠れしてはゆっくりと動いている様に思われた。此の重い時間の渦の見えない重力の中心に何が、何者が潜んで?光の凝縮なのか闇の凝縮なのか・・不思議なことに菩薩像も白い蓮の花も僕には見えてこない。一体何処へ消えてしまったのだろう。渦の中心に呑み込まれてしまったのだろうか?
   ・・・僕の目の前で大きな薄紅色の紫陽花が雨に濡れていた。濡れながら小さい花弁の水滴が光っている。ひとつひとつが虹色に煌めいている。僕の心が濡れている。長い長い渇きの後に心が濡れている! 濡れながら虹色の光を帯びていく。
    ・・そうであったのか! やはり、・・僕の心は渇ききっていたのだ。心の渇ききるのを我慢してまでも、濡れるのを拒み続けてきたのだ。なにもS.I.氏に対してだけではない。人間情念に纏いつく湿っぽい一切を嫌悪してきたからなのだ。然し今は違う。僕は濡れている。・・
なのに湿っぽさもなく濡れている。乾れながら濡れている。  
 
白州が濡れている
乾れながら濡れている
乾れながら濡れている
 
枯山水に雨が降る
白砂の上に虹がたつ
白砂の上に虹がたつ・・
 
彼に会おう。竜安寺の庭で彼に会おう。
 
                  ―――――――
 終
 

(見知らぬ人からの手紙から 「優 艶」) 4.

何もかも貴兄に打ち明けてしまいました。ご迷惑この上ないと恐縮に存じます。平にお許しください。
    生前に兄が恋した女性、今は嫁いで母となりY.Nを名乗る夫人の思わぬ出現、それによって驚く程鮮明に、今まで知ることのなかった内面の影の部分から鮮かに別の姿を顕わしてきた兄の存在、その二人が何の前触れも無く文字通り突然に私の人生の前に立ちはだかったのは、斑鳩の里をその舞台として深く中宮寺・女人菩薩伝・如意輪観音に関わるところでした。
    どれ程僕を震撼させたことか! その衝撃は強く、私の人生と学問は根底から打ち砕かれ瓦礫と化していくように思われました。
    生死の岐路に立って愛し合う若い二人を前に、美はどの様にその深層を開示して行くのか、その命と魂と肉体に深く関わる人間存在の赤裸々な場面で、愛は美によって授けられ、美の抱く絶対時間のなかに結晶していくのだろうか、美は愛によって目覚めまた愛も美によって目覚め、互いに成長しながらその生命を顕わし輝き永遠の星の座に近ずいていくのだろうか?
    その時二人は若かった。二人は初めて愛神エロスに魅せられて愛の矢に射られた。男は招かざる「死」を運命として受け入れ、自分のタナトスとしてエロスに重ねようとしていた。男は更にその地上の女性に向かう自分のエロスを美しい女人菩薩に重ねることによって、菩薩が“幽艶愛悦の権化”として顕われ、自分を迎い入れるのを念じていた! こうした二人を巡る運命的な愛の実存に対して中宮寺・女人菩薩はその美の深層に一輪の白い蓮の花の開花を現眩して現われてきたのです。
    兄はその時の自分の心と魂と肉体の真実を和辻哲郎先生の文脈を換骨奪胎しながら明らかにしてくれました。同時に兄は人間と美の関わりについて根底から考え直すことを問いかけていました。美が愛を介在とした人間の生死の狭間に現われる時、人知では及び知ることのできない深い存在のレアリティーを垣間見せるのを知らせて呉れたのです。
    貴兄には解かっていただけるだろうと思います。何故私が重大な岐路に立たされてしまったのか、そして私が如何ほど悩み苦しんだかを・・・。その後、私の選んだ道を貴兄も又、あまりに文学的に過ぎるとやはり言われるのだろうか? 私自身が選び歩んで来た道がなんであったかを後悔はしているのだろうか? いや私は誇りにすら思っているのです。私をもう一度人生の初心に立ち帰らせ、美に携わる姿勢を根底から問い正して呉れた二人に感謝してもしきれない気持ちで一杯なのです。
    私は人間存在の意味を問い続けることによって、愛が光を当てるその生と死の幽艶に開示して来る深層の美を求めていきたい。これは私の学問の覆がえし得様もない確固とした前提であり、それは貴兄にも申し上げたと思いますが、私の兄を含め、国家の虚妄の正義のために尊い「命」を強奪されながらも、健気にも自身の「死」を勝ち取っていった若い純白な魂への鎮魂の弔いでもあるのです。
    貴兄には誠に申し訳ない。つい激しやすいものですから読み辛かったことと思います。長い文面になってしまいました。もっと書きたいことは山ほどありますが、断念します。
    最後になりましたが、貴兄のお手紙の中に、とても氣になって離れない言葉がありました。“・・・そして醒めれば何事もなく不動の姿勢のままにおわします。端正整合の形の中に・・・”
又、同じようにY.N.夫人の手紙のなかにもそれと似たようなことが...、“この方も菩薩様と同じよう毅然としてお優しい姿勢で、云々・・・”書きつずられています。若しかして貴兄がおっしゃる「謎を解く鍵」とは夢自体ではなくて、夢から醒める時、つまり薄明の空間から現実の明るみに出た時、或いは明るい中から薄暗い堂内に入った時、最初に目に飛び込んで来る現実の菩薩像の純粋な造形的な印象の中に潜んでいると言うのですか? 貴兄は造形家でもあるのですから何か確かなことを掴んでおられるのだと思います。そう言えば和辻博士は菩薩像の造形については多くを語ってはいません。博士にしては心情的な思い入れのため、目が造形の表面に流れ文学的印象論に偏っているようです。
    ・・・・何かが見えて来るような気がしてきます! 紫紅色の靄の向こうに今迄に見たことも無い・・・視覚的抽象だろうか? 否、言葉だろうか? 貴兄の助けが必要なのです!なんとしても助けて頂きたい。貴兄の御都合に合わせお会いする機会をお恵み下さい。
                 貴兄のご健勝と益々のご健闘をお祈りしつつ・・、
    敬具                    
199X年X月X日
S. I.
R.O.様
 

(見知らぬ人からの手紙から「優艶」) 3.

Y子様
    Y子様、おめでとう。二十歳になった貴女はどんなに眩いことだろう。「ああ、なんと美しい!」僕は今、貴女の傍らで叫んでいる。感じるでしょう・・・僕の賛嘆のため息・・貴女が生きていてよかった。本当におめでとう。でも、日本は生きているのだろうか?Y子が生きているのですから・・、きっと生きている。・・そう信じよう。
あれから三年の月日が過ぎました。貴女への約束の封が今、切られたのです。手に触れ目に見える姿の僕は最早この世にはありません!・・無念です。ただただ言葉を失い・・・。
    でも僕はY子に永遠の言葉を残しましょう。“一年に一度、二人は会えるのです。共に
過ごした斑鳩の日に、二人が一輪の白い蓮の花になった日に、二つの魂が女人菩薩に宿った日に、二人で「白い蓮の花の日」と名付けた日に!
    二年前、貴女に何としても伝えておきたいことがありました。二十歳の熱い命に、心も魂も激しい欲望も住まう赤裸々な人間の心情を伝えたかったのです。でも当時十七歳の貴女に、それを表白するだけの勇気はありませんでした。でも一瞬、脳裏に閃いたことがあります。それは僕が師と仰ぐ和辻哲郎先生の著書、「古寺巡礼」の中にある言葉の文脈をそっくりそのままお借りして、僕の心情を表白する言葉に組み替えてみると言う事です。決して公には許されることではありませんでした。身勝手な弁解かも知れませんが、帰らざる出発の日が迫っていました。それに僕にはっきり言えるのは、和辻先生のあの文脈の部分は、ご自身の心情を無理に別の言葉
に託して道徳家風に装っておられるのです。ご自身では判った上でのことだったのでしょう、その含羞の表現が多くの読者に共感と感銘を与えたのだと思います・・・。僕の貴女への最後の「詞」(ことば)を、『幽艶』と題して此処に残しましょう。
 
としふりて
おもいおこせよ
斑鳩に
恋し面影
今も微笑む
――――――――――――
『幽艶』
 
   『懐かしいあの女人は、六畳間の中央に腰掛を置いて静かにそこに座していた。後には床の間があり、前には小さな経机、花台、綿のふくれた座布団などが並べてある。右手の障子で柔らげられた光線を軽く半面に受けながら、女人は神々しいほどに艶麗な「魂の微笑み」を浮かべていた。秘かに官能の香りがあって、それはもはや「彫刻」でも「推古仏」でもなかった。ただ私の抱擁に心から身を委ね・・そしてまたその抱擁に生き生きと答えてくれる・・希有なる貴い生命の愛の昇華を静かに思念するそのものの姿であった。私はしみじみとした情念に身を委ねながら、想い募る恋慕の心でその顔を見守った。
   どうぞお側近くへ、と婉曲に尼僧は、「愛の僕」の「面接」を許した。私はそれを機会に奥の六畳に入って、「おそば近く」にじり寄ったが、しかしその心持は、尼僧が親切に推測してくれた様な面接の気持ではなくて、全く文字通りに無我の一体に溶け合って、「死の法悦」に近ずくことであった。
   あの肌の漆黒の深みを湛える艶は実に不思議である。女人が木の像でありながら溶銅の熱を秘めるのはあの艶のせいだと思われる。またその艶が、微妙な肌の起伏、微妙な肉の弾みに実に鋭敏に反応し、妙なる官能を喚び起こす。その為に顔も繊細で柔らかな表情が現われる。あのうっとりと閉じた目に、しみじみと味あい尽した愛悦の惜涙が、実際に光っているように見えため息が、本当に揺らいで感じられるのは、確かにあの艶のおかげであろう。あの頬の恥じらい染める美しさも、その頬に指先をつけた手の、ふるいつきたいような形のよさも、腕から肩の清らかな柔らかさも、あの艶を除いては考えられない。ただそれは女人にこの様な自然の翳りの中で相まみえる者にしか、この像の面影は伝えられないのである。』
                ・・・・・・・・・
   僕はただうっとりとして眺めた。心の奥底でしめやかに静かにとめどなく涙が流れ、全身が溶ける歓びで震えていた。ここには秘められた愛の悦びと悲哀との盃がなみなみと満たされている。まことに至高の愛の宴であり、また愛宴とのみでは言い尽せない神聖な美しさである。
・・・・・・・・・
   この像は本来観音像であるのか弥勒像であるのか知らないが、その与える印象はいかにも貴顕の麗人と呼ぶのが相応しい。・・・・・・・・・その初々しさはあくまでも「処女」を装う。がまたその複雑な表情は、人間を知らない「処女」のものとは思えない。と言って「女それ自体」ではなおさらない。・・・・しかもなおそこに女らしさがある。女らしい形でなければ現わせない優しさがある。では何であるか。・・・幽艶愛悦の霊的権化である。人間心奥の霊性に由来した愛宴法悦の願望が、その求むる所を人体の形に結晶せしめたものである。私の乏しい見聞によると、およそ愛の表現としてこの像は世界の芸術なかで比類のない独特のものではないかと思われる。これより力強いもの、威厳のあるもの、深いもの、あるいはこれより烈しい陶酔を現すもの、情熱を表現するもの、・・・それは世界に希ではあるまい。しかしこの純粋な愛悦と悲哀との象徴は、その曇りのない純一性の故に、その優しい至高の官能性のゆえに、恐らく唯一のものと言ってよいのではなかろうか。・・・・・
・・・・・・・・・    
    上宮太子の情生活が、ほとんど情死にも近い美しい死によって、・・・夫人は王と共に死んだのである。王の死は自然に夫人の死を伴ったのであった、・・その死によって推察せられるならば、そこには(肉体の官能幽艶によって)魂の融合を信じまた実現したしめやかな愛の生活がある。そうしてそれは、やがて結論として中宮寺観音をつくり出すような生活なのであった。』
―――――――――――
    Y子様、どうかこれを貴女の許にだけ留めおいて下さい。弟に形見といって僕の大切にしていた「古寺巡礼」の書を残していきます。縁あってお会いになる機会があれば、それも僕達の「白い蓮の花」の宮であれば、弟に貴女へのこの文を読ませてやって下さい。想い募ること、貴女へ書き残したいことが大波のように寄せてきます。しかし時間がありません。全ては僕達の斑鳩の女人菩薩様に委ねることにしましょう。左様なら、私の愛する唯一人の君、「永遠の白き蓮の花」!
未だ此の世に在る日に、
       K.I

( 「 幽 艶」 2.)

(S. I 氏より第二の便り)
・・・・御親切なお手紙を頂戴し心開かれる思いでおります。自由な立場で美の世界を歩いて来られた貴兄の貴重なご経験が含蓄ある言葉となって心に沁みて参りました。今まで疎じたり見過ごしてきた為に、私如きが窺がい知ることのなかった奥深い世界に触れて行ける様な気がいたしております。心より感謝いたします。
思えば私の人生に「美」の門を開いてくれたのは、一冊の小さな本でした。「これはお前に残す僕のただ一つの方見だ」と言って兄が、中学生であった私に残してくれたのは和辻哲郎博士の「古寺巡礼」でした。手垢でぼろぼろになっていた文庫本は、兄の死、それも学徒出陣による戦死であることを考えると、又一片の遺骨すら帰還することの無かったことを思うと、その絶対の沈黙と無念を代弁する、兄の魂の生きた証言のように絶えず何かを語り訴えかけてくるのです。
そうでした。当時、兄の通っていた京都の大学では多くの学徒がその小さな一冊を懐に忍ばせて戦場に赴いたといいます。そのことは少年の私の胸に焼き付き、消えることのない鎮魂の碑を刻むよう訴えかけているようでした。
時の成熟は何時か、私をして兄と共に死んでいった汚れない純粋な魂と一緒に「古寺巡礼」への旅を促していました。生涯を懸けての供養と申してもよいでしょう。共に歩き、語り,歓び、学び・・・そしてそれは、私の紛れもないない独りの人間としての人生への門出でした。何のためらいも無く歳月は過ぎて行き、気が付くと私はひとかどの学究として大学にも定まった席を置いて、ひたすら学問の道を辿っていたのです。そんな或る時でした。私は思いもよらぬ運命の岐路に立たされることになったのです。・・・かれこれ拾年を遡ることになりましょうか・・・秋の学会で発表する研究論文の骨格に最後の活力と詰を与えようと思って斑鳩の里に中宮寺を訪れていた時のことでした。論文の主題は、奇しくも貴兄の『魂のアルケー、美のイデ―』で触れておられる京都・広隆寺の木彫弥勒菩薩半跏思惟像、そして奈良・中宮寺の木造、伝如意輪観音菩薩半跏思惟像の表現様式の比較研究についてでした。本当に貴兄とは益々不思議な縁で結ばれている様に思えてなりません。
その日も暑い一日が暮れようとしていました。法隆寺の伽藍の端然と波打つ甍は茜色に染まり、金堂や五重の塔の軒下に藍色の影が忍び寄っていました。私は、見知らぬ中年の婦人に託されたといって帰りしな中宮寺の尼僧が手渡して呉れた封書をポケットにしていました。宿へ帰り疲れをゆっくりと湯に流し、開封しました。読み始めるや否や私は烈しいショックと説明し難い興奮に襲われ、暫く呆然とした気を失いかけたのです。思いもかけない文面の内容もさることながら、その封書の中にもう一つの古びた和紙の、それも古文書のような封書が入っていてそれが私の息の根を停めてしまったのです。貴兄には・・貴兄であればこそと、私は間違っているのでしょうか、いや、貴兄はきっと解かって下さるでしょう。お伝えする内容は正確でありたいと存じますので、その見知らぬ夫人からの文脈をここに引くことにします。
 
 
・・・・S.I様
    ・・・斑鳩の里の夏日、今年も暑うございます。里は年毎に姿を変えて行くのでしょう。遠い白い記憶の中の、寺社の佇まい、砂埃り立つ鄙びた里の面影、崩れかけた築地塀が懐かしゅうございます。憶えば初めて此処を訪れた時のことが夢の様、半世紀も経とうかというのにその日は夏の陽射しと共に鮮やかに蘇ってまいります。
    当時、下鴨の女子学生でした私は、貴方様のお兄様と共にその日をこの斑鳩の里に過ごしました。夢の様な幸はせ、・・二人は一輪の白い蓮の花になって蒼い空に漂っていました。斑鳩に咲く一輪の「白い蓮の花」。お兄様と私の一つに溶け合った魂に咲く、永遠の命の花、私達は中宮寺の半跏女人菩薩像を飽かず眺めながら、そこに一輪の「白い蓮の花」を重ねていました。・・・蝉の音が堂内に古への静寂を運んでいました。時が経ちあの方は、菩薩像から目を逸らさないまま、その仄かに開く唇に向かって囁く様に語りかけられたのです。“君の中に咲く白蓮華、微笑む永遠の菩薩像・・私を君に重ねる・・・”。
    そして三日後、あの方は白い歯に微笑みを浮かべ帰らぬ旅へと発って行かれました。私に一通の封書を手渡されながら“これは僕の生きていた証しに・・君が二十歳になる日、開いてください”と言い残して・・・・
    黒い煙の尾を曳いて汽車が消え去った後に独りプラットホームに立つ少年の後ろ姿がありました。あの方の弟様でした。私と同じ様に必死に耐え、いつまでも立ちつずけておられました。その深い悲しみが私の胸に痛い程につたわって、気が付くと私は少年の背に掌を合わせ
祈っていたのです。“尊い女人の菩薩様、貴方様の宿す蓮の花、・・あの方の命に咲く花・・・・
とこしえに貴方様の中に憩いて、・・・“
 
                
花に問う
汝れはいずくぞ
斑鳩の
宮に咲きたる
白き蓮華
 
    夏の日は、今年も又巡って参りました。年毎にお兄様と一度だけ女人菩薩の御御堂でお会いする日、・・一昨日のことでした。私の胸は常になく高鳴っておりました。堂内に入りますと、爽やかな朝の逆光を浴びて静かに坐した男の方の横顔がありました。目を閉じて観想に没入される無心のそのお姿には何かひたむきなものがあって、私の目は釘付けにされたので御座います。菩薩様とその方の間で密やかにお言葉が交わされている様に感じられ、心打たれる思いでい息を鎮めておりました。あの方がそうであった様に、この方も菩薩様と同じように毅然としてお優しい姿勢での御対面でした。若しやしてあの方と同じようこの方も又、・・・“貴き君の中に咲く白い蓮の花・・吾を貴き君に・・吾を貴き君に・・”
 
    本当に不思議でございます。弟様の拝観者記載名の傍らに私の名を連ねましょうとは・・、あの方は、いいえ、お兄様はどんなにかお喜びのことでしょう。女人菩薩の取り結んでくださった縁(えに)しの不思議さに掌を合わせるばかりで御座います。貴方様にお兄様が最後に私に残された古い書き物をご覧いただきとう存じます。貴方様が美術の学問の道を歩まれそのため斑鳩の里にもしばしばお出でになるのは、私の長男から耳にしておりました。申し遅れましたが長男は貴方さまと同じ大学に学び、いまは西欧の美術、確か古代のエーゲ海とか地中海の古代美術を研究している様です。
    美に魅かれる男達の気持、どこか共通するものがある様な気がいたします。何故で御座居ましょう。・・・でも怖いと思いながら、そうした方に魅かれる女の気持、確かに在るので御座います。・・・素晴らしい、でも怖い!・・美を求めて異なる二つが一つになるのは何故か死を求めるように思えるのです。純粋な美であればある程、美は死を代償に求めますわ!お兄様は、きっと国の運命が非情に求めた「死」を前にして、その死を純粋な美の魂によってご自身の死になされたのだと思います。どうぞお兄様のお残しになった「優艶」をお読みくださいませ。
    あの方の微笑みに包まれて、御健やかな貴方様の日々をお祈り申し上げます。お目もじの機会あればと念じつつ・・                    
かしこ
198X年 7月 X日
Y.N
 
                ――――――――――――――

これが今から十年ばかり前に、見知らぬ婦人 Y.N の私に宛てた手紙の全文です。

お察しの様に婦人は四十年程昔、二十歳で此の世を去った兄の最後に愛した女性です。恐らく生涯でただ一人の・・その愛は今もなお彼女の中に静かに住まい、ひっそりと息ずいているのです。

     婦人は戦後数年たって陶芸家と結婚し一男一女をもうけ、今は奈良の近くの木津に暮らしています。ある機会に長男と会ったことがありました。なかなか闊達で明るい青年でした。その気質のように古代地中海世界に強く魅かれ程なく留学生としてイタリアへ出発して行きました。どこかで貴兄と合い通ずる薫りの様な何かを感じていました。物心付く頃から母に連れられてよく大和や京の寺社仏閣に足を運んだそうです。屈託なく笑いながら、“父に反対されたのですが、古代エトルリアの陶棺夫婦像やアポロンの陶像の図版を開きながら、”いずれ僕は親父の窯を継ぐことにならのだ、と言ってうまく説得したのですよ“と私に語ってくれたのがとても印象的でした。この若者については、又、別の機会にどうしても触れねばならなくなるでしょう。

   所で,件の兄の残した「優艶」を読んで頂きましょう。 

―――――――――――――

 

(見知らぬ人からの手紙から「優艶」1.の補付)

S.I 氏 からの第二の便りを開封する前に
    S.Ⅰ.氏からの第二信を手にして十日ばかりが経った。こんな季節に大徳寺の塔頭・高桐院を訪れるのも悪くはないと思いながら、鮮やかに咲くかきつばたや紫陽花の花に、驟雨に濡れる心の欝(うつ)を晴らしているうちに、封を切らないまま時は過ぎていた。
   忘れた訳ではない、忘れた振りをしていたからでもない。この季節、更に欝っとおしい気分になるのは真っ平だというだけのことである。あたら S.I という人物に好奇心を抱き、僕にしてはいささか真面目な返事を出したのが拙かった。後悔しても始まらない。所詮、気まぐれな虚栄心だろうが後始末はつけねばなるまい。面倒ではある。だがよくよく思いなおしているうちに僕は極めて単純なことに気が付いていた。この御人は多少ずれてはいるが、どこかでそれも可なりデリケートな部分で、僕の中に潜んでいた何かと触れ合う所があるということだ。追々解ることにはなるのだろうが、彼も似たようなものを感じている。・・・そうだ、彼はしきりとごくに会いたがっている。僕から言えば、それが嫌が応でも斑鳩の中宮寺・菩薩像に的を絞られそうになるだろう事が鬱っとおしく思われるのである。話題を他に逸らせばよい。
或いはこの季節、太秦の弥勒菩薩や竜安寺を回って高桐院の庭で寛ぐのも悪くはない。かえって楽しくはなりはしないか、何はともあれ彼がどうしても僕と会いたいと云うのであれば、これは妙案かもしれぬ。綺麗な女に気を使い、あとで寂寞を味わうよりはまだいいだろう。
    僕は封を切ることにした。
                 ―――――――――
 

(見知らぬ人からの手紙)1

前略、
 ・・・夢に、あの斑鳩の女人菩薩に誘われ、愉悦の境を彷徨ったという貴兄の噂を耳にしました。たとえそれが風の戯れであったとしても、私は貴兄が羨ましい。本当に羨ましい。若しできることであれば是非貴兄にお会いしたいのです。そして貴兄の夢にについて、又そうした希有な経験をされた経緯についても、もっと詳しくお聞かせいただければと・・・、かねてから私もそうした夢に与りたいものと念願しておりました。
   ともあれ、かかる不躾なおよんだ義、平にお許しください。それに私は、見知らぬ貴兄に強いお願いをするのですから、その訳を詳らかに致さねばなりません。告白しましょう。私は一介の美術研究家、いや、むしろ衒学の輩と称したほうがよいでしょう。いつの間にからか正統な学問の道からは外れてしまって、それも自分から好んで、と申し上げるのが真実でしょう。大和路の失われた古代時間の迷路を彷徨い歩いているのです。始まりも終わりも定かでない迷宮の路傍に、野の花の様に咲く古美術を季節を追って愛でているうちに、いつか落葉の齢を感じるようになりました。
   不滅の美は存在すると、そしてそれに出会った時、私の人生はどれ程に幸せだろう。恐らく私はその存在にただ感嘆し、ひれ伏すだけではない、一体となって融けあってしまうのだ。その瞬間、私の生命は此の世での形象を無くして絶対の美に永遠の住まいを見出すことになるだろう。本当にそう信じ、他愛なくもその観念に憑かれてしまったのは未だ少年の名残をとどめる大学に入る前のことでした。不思議なことにそれは遂、昨日のようでもありこうして貴兄にペンを走らせている現今(いま)のようでもあります。
   少々お喋りが過ぎてしまいました。御放免ください。書きつずるうちに何故か貴兄により親しみを感じていくようです。無視の知らせでしょうか、虫のいい思いこみでしょうか、きっとお会いしていただけるものとご返事を心待ち致しております。
 敬具、                       
199x年6月x日
                                                      
R.O 様 
 
 ―――――――――――
(見知らぬ人への返事)1
拝復、
   ご丁寧な内容のお手紙いただき、正直のところ面喰っております。斑鳩の里の古宿「蒼庵」で、つれずれに語ったことが貴方様の耳に入ろうとは、ほんの“風の戯れ”に過ぎぬものを、“つむじ風”が運んだのでしょうか。お手紙では私にお会いされたい由、それもお急ぎの様子。私のごとき漂泊の輩にと戸惑うのですが、貴方様の率直で何かを想い求めておられる御心情の吐露には、正直いって戸惑いを感じております。いずれは、ということで御放念いただければ大変有難いのですが・・・その代わりというわけではありません。この文面を借りて少し貴方様にお伺いしたいことをも含め、日頃、私が抱いています美についての考えをお聞きいただければ幸甚に存じます。
   噂で、私が美に携わる者であることはお聞き及びかと存じますが、貴方様のように学問研究を生業としている者ではありません。志し半ばで仏師たることを放棄し、今は自由に美を享受し表現を楽しんでいる者です。仏師断念の当時は自分の意思の弱さに忸怩たるものがありました。しかし時は次第にその挫折の心を癒しながら、「人間の心の奥底には美に導かれ魂の故郷と言いましょうか、人間存在のアルケーを求める憧憬が潜んでいて、折りに触れ人それぞれにその心の求めに応じて、信仰や美の形象に顕われ結実していくのだ」、ということを教えて呉れました。私の場合、仏像の厳しい図像学的制約に依ったのでは、恐らく魂の純粋さにおいて心が求める歪みのない形象には至らなかっただろうと云う得心でした。
   美しい女と出会って烈しい恋慕に陥入り相抱擁し一つに溶け合いたくなるのは、その女の生身の容姿に魂のアルケーの似姿を認めたからであって、然し地上での出来事は相対的なものでしかありません。ベアトリーチェは若くして此の世を去ったのですからダンテには魂の美しい絶対的なアルケーの似姿でありえたのだと想います。美学者である貴方様にこんなことを垂れるのはお門違いでしょうが、私も貴方様も所詮は生き身の人間、肉体でもあり官能でもあり魂でもあります。その魂は生き身の肉体を伴ってアルケーなるものを追って彷徨う。それが同じ生き身の女人なのか、あるいは形象や音の響きに顕われて来るイデ―なのか、私は京都・太秦の弥勒菩薩と斑鳩の女人菩薩と此の世の生身の女たちの三つを頂点にその間を折々の風に吹かれて気儘に尋ね歩くのです。
   貴方様がこの国の男性の多くが抱く様に、斑鳩の美人菩薩に純な慕情を寄せるのに何の不思議も感じないのです。ただその情念にはエロスの頂点にタナトスを請じ入れようという一途でせっかちな何かを感じないわけには参りません。違っておればお許し頂きたいのですが、何か秘められた理由があってのことなのかもと・・・、私の好奇心は、はしたなく蠢き始めるのです。否、そこはかなるやっかみの故でありましょうか。
   ただ私は貴方様に正直に申し上げたい事があります。私はかって斑鳩の女人菩薩に純なる慕情を抱いたこともなかったし、まして悩める魂を救い浄化してくれる慈悲の姿として心を揺さぶられたこともありません。ただある夜の夢にあの微笑む菩薩像が、不動の姿勢を解き生き身の女人として現われ、恥じらいもものかわ共に相擁し態を生み形を失い官能の海に麗艶に溶けていってしまったということです。比類なき貴顕の娼婦かな!そして醒めれば何事もなく不動の姿勢のままおわします.整合端正の形の中に・・・。空蝉の偽りの時に似て、と貴方様には不愉快でしょうが・・・、夢はしかし、それまで私の心にわだかまっていた或る一つの謎を解いてくれたようです。いや謎を解く鍵を残していって呉れました。きっと貴方様でしたら、それが何であるか御察しくださるだろうと信じます。ついつい多弁にすぎてしまいました。いずれお会いする機会もあろうかと存じます。先生のご健勝をお祈り申し上げつつペンを置きます。
敬具,                         199X 年6月X日
   S.Ⅰ 様                            R.D
 

見知らぬ人の手紙から 「優艶」Ⅰ.

かなりの月日が経って、見知らぬ人からの便りがあった。僕の見たあの忘れ難い“幽艶 の夢“の噂を、
人伝てに耳にしたからであろう。思えば大和路の、寂れた定宿の外れの部屋に
 
欝欝としていた夜、話し好きな女将を相手に、つれずれなるままに語ったことがある。それが
 
多分、噂の発信源になったに違いない。
 
便りの主人公は、本人が文面で告白する様に、確かにこの国の学究としては研究対
 
象への思い込みもいささか尋常ではなく、それだけに学問の求める客観性や中庸な表現をすら危うくする様なこともあったのではと思わせた。それと同時に僕には、文面に漂う人生の寂寞といといった様なものがどこか悲哀を孕んで妖しく伝わってきた。その彼が僕に会いたいという。訳け あってのことだろうが会ったところで何になろう。他人の魂の慟哭に耳を傾けることになりはしなないか。あたら彼が美や美術を人知の俎上に供して生業としてきた人だけに、精神や魂の不可知な知の部分に救いようもない亀裂や分裂を生じていて、僕は、その割れ目から溢れ出る血涙を見ること ことになるのでは、精神の寂寞に吹く風に僕の心まで晒すことにもなりはしないのか。それが思い過い過ぎであればそれはそれでよい。そうであってほしい。
 
とまれ彼が魂の在り処を美に求めてその生涯を貫いてきたのは確かなことである。そして学問と魂の間のどこかで辻褄の合わなくなった人生を、最後に彼が恋慕するに至った仏像形象の美の生命と、人間情念で結ばれ合体することで完結しようという気配なのだ。なにか危なかしいものが感じられて仕方ない。いや危うい。突然浮かび上がってくる言葉があった。・・・“美は人間に残酷である”・・・。
 
彼が若しその美の残酷に出会うだろうならば、それを冷酷な裏切りと受け取るかも知れないのだ。・・・それでもここは楽天的に考えることにしよう。・・・彼に会うべきだろうか、僕は見知らぬ人からの手紙をもう一度読み返しながら短く返事をしたためることにした。
 

Ⅲ.渚にて

Ⅲ.

陽が傾き春の日が暮れようとしていた。謝肉祭というのに街じゅうが静まりかえっていた。第一このピアッツエッタからサン・マルコ広場を見渡した限りでも人影らしい気配すらない。見知らぬ或る男からの連絡を受けて僕はわざわざ旅先のシエナからこのヴェネツィアへやって来た。今日の夕方、ゴンドラの船着き場の渚に椅子をだして待っていてほしいいと言うのだ。つまりサン・マルコ広場野の有翼の獅子像と聖テオドーロの像を戴くあの花崗岩の二本の円柱を見上げながらだ。

   数日前のことである。シエナの朝の心地よい陽射しが貝殻状のカンポ広場にプ

ッブリコ宮殿の影を緩やかに描いていた時刻、僕が、あくびをしながら碧い空を仰いでいると八つになるかならぬかの少女が、それも見知らぬ可愛い少女が貝殻の広場を斜めに真っ直ぐ歩いて来て小さな白い紙きれを僕に手渡した。“おじさん、これメッセージよ”思いなし傾げた顔に陽が射して華奢な肌が大理石の様に輝いた。額で透けるように小さな渦を巻いていている細い金髪のせいだろう。

   “有難う、誰かに頼まれて?”“ええ、ほら、あそこにバールが見えるでしょ、素敵なおじ様に頼まれたの、ベージュのコートを着た方よ”、少女はあどけなく淡い緑色の瞳を見開いて広場の端の方に向かって顎をしゃくると、不思議そうに僕を見上げた。それは、どこか見覚えがあるわ、といった表情であった。僕は、バールの方を確かめたがそれらしい人影は見当たらなかった。多分、少女が僕に紙きれを手渡すのを見届けると急いでバールを後にしたに違いない。『若しよろしければ、謝肉祭の最後の日の夕刻、ヴェネチアでお会いしたいのですが、サン・マルコ広場のゴンドラの船着場で、貴方の古き友 G.C より、友情を込めて』と、二つ折の紙に流麗な走り書きで記してあった。誰だろう。しばらく特徴のあるG.C のイニシャルを手掛かりに記憶の糸をたぐるのだが、どんな顔も浮かび上がってこない。幾度か訪れたヴェネチアへはいつも独りだったし、いきずりに知り合った女であるはずもない。かなり風変りな誘いだとはおもうが、さりとて何か品よく仕掛けられたわなだとか巧みな企てとも思えない。

   僕は思案に暮れ、ただぼんやりと広場に這う建物の影を目で追った。結局は今日一日の気分次第ということになるだろう。或いは、古代エトルリアの鳥占いよろしく北の空を見上げながら、飛ぶ鳥の行く方で決めることになるだろう。気が付くと淡い金髪の少女は居なくなっていた。もはやG.C が誰であるのか知る手だてはない。

   先程まで貝殻の広場の外縁まで延びていたのっぽのマンジャの塔の影が短くなっていた。褐色の建物に囲まれ、なだらかな傾斜の広場が昼下がりの陽気で温められる頃、行きかう人の動きは緩慢となって遂には歩みを停めてしまう。そして思い思いに石畳に腰をおろし背をこごめ、こうして広場は極上の憩いの場になっていく。

   僕は何故か、広場の片隅のバールに陣取り、本を手にしたり書き物をしながら、時の流れに形を変え変容していくマンジャの塔の影を日長一日追うのがすきで、ほとんどそのためにこのシエナに滞在しているのだと言ってもおかしくはなかった。山上の城郭の街が間昼間、茶褐色の露地や壁の陰影を濃くする時刻、人影の停まった外れのテラスに立って波打つオリーヴ・グリーンの起伏を見下ろしていると、それだけで幸せになって行く。どんな言葉もいらない。ただ幸せなのだ。

   過ぎ行く今に自足するのがどんなに素晴らしいことか、説明するのは難しい。どんな言葉も,否、人までも、しまいには曖昧模孤となって消えていく。全ては大きなため息でしかないのだ。

   僕はかってこの街にシモーネ・マルティーニの優美さやドウッチオーの荘重さに憬れて遥々、異国からやって来た。古ぼけた美術書の色刷りを繰り返し眺めているうちに、憧れは本物になっていた。初めて見るマエスタ「王座の聖母」を前にした時、美術書が解説する「精神の集中、荘重と抒情」という言葉がようやく真実の響きとなったのを覚えている。素晴らしいことだった。言葉が肉付けされ、肉付けされた言葉が僕のなかで「生」を生きはじめている。一つの『生の形式が』が誕生していたのだ。

   僕はいつの間にかパンタネト通りの外れのピスピーニの門に近いホテルに戻っていた。かなり想いに耽っていたらしく何処をどう歩いて来たのか定かでない。ホテルの白髭を両頬に蓄えた老いた小太りの玄関番がキーを差し出しながら“旦那様、メッセージです。お知り合いの方とか申されて電話がありましてね・・”と伝言用紙を差し出した。『先程は急いでいましたので失礼しました。ゴンドラの船着き場では椅子に座って厚手のジャケットを念の為、ヴェネチアの夕暮れはかなり冷えますので・・・、私は多分、仮面を付けて参ります。風変りな趣向と思われるでしょうが、私としましてもひさしぶりのヴェネチアです。それに何よりも貴方様とのお話を楽しみにしております。貴方の古き友 G・C より』、又してもあの男からの連絡なのだ。そして如何にもヴェネチアらしい風変りな・・、僕の決心はこれで殆んど決まった様なものだ。若しかしたら,こうした仮面舞台の場面ででもあるような出会いの機会をひそかに待ち望んでいたのかもしれない。

   僕の心は昂ぶっていた。窓を開けるとトスカーナの丘陵がオリーヴと葡萄畑の緑で濃淡の翳りをつくりながら、透明な光の粒子に満ちた空の下、茶褐色の霞の野に遠く広がっていた。ヴェネチアはこの霞の更なる向こうにあるのだろう。窓辺の淡い緑のカーテンに波だった。ラグーナの潮の香が風に融けて、あの忘れて久しい官能の香りを運んでいたのだ。

             ・・・・・・・・・・・・

夕暮れもいつになくゆっくりとしていた。広場も聖堂も運河も紫紅色の暮色の中で千年の息の根を停めたかのように、静まりかえっていた。大鐘楼が広場に影を落いとし,バラ色のドゥカ―レ宮殿は薄紫の大理石に変わろうとしていた。相変わらず影はなく、運河に行き交うゴンドラもなかった。謝肉祭の最後の日だというのに、聖マルコ寺院の扉は閉まったままなのだ。

かって大祭礼の日を、こんな具合に迎えたヴェネチアがあったのだろうか?千年を越えてビザンチンの栄光と繁栄をアドリア海の空と海に欲しい儘にしてきた不倒のヴェネチアだ。饗宴につぐ饗宴にひと時の休息や空白を渇望したとしても少しも不思議はない。しかも選りすぐって謝肉祭の最後の今日という日に・・、僕の想いは、渚に沿ったスキアヴォー二通りから対岸の聖ジョルジョ島に目を移すことでとりとめもなかった。

   そうだとも、こうした静謐の日を用意することこそがイエス・キリストの復活に最も相応しいのだ。それをためらわず大胆に実現してみせるのはヴェネチアを措いてあろうはずはがない。聖マルコの遺骸と称して豚の生肉に隠し、825年エジプトのアレキサンドリアから此のヴェネチアに運んできたのも彼らであるのならば、それをネタにヴェネチアを巡礼のメッカにしたてあげ、おおいに利に与かって来たのも又、ヴェネチアではなかったのか。

     僕は、この世を劇の舞台と見抜き、仮面を与え、虚実織り交ぜながら人生の劇を大胆不敵に演じ抜いてきたヴェネチア人に、今、限りない共感を覚えるのだ

G・C氏が今宵、素顔を仮面で覆って現われるというのも彼に本意のヴェネチア人が潜んでいるからのことで、それは僕への心からなる歓迎の徴であるに違いない。なんという今宵の静謐。それはこれから始まるであろう予感をはらんだドラマ『劇』の幕前の静寂に見事に呼応しているではないか。それにしても何という静謐!静寂!

 カナル・グランデもサン・マルコ広場もラグーナを越えてリドに向こう側のアドリア海に広がる全ての水域、寺院も鐘楼も宮殿も、運河に沿った館もヴェネチアの全ての建物が夕映えに鈍く黄金の輝きをおびて輝いていた。空も又、西から東にかけて次第に朱を帯びながら黄金の光芒を放っていた。そこには金色に輝く荘厳の相を顕在化したヴェネチアがあった。あだかもサン・マルコ寺院の内陣の闇の中で数世紀を息ずいてきた豪華絢爛の黄金のモザイクが、今日という日のこの時刻のために門外不出の扉を開いて繰る出し、ヴェネチアを荘厳の異界の都に変えてしまったのだと思わせた。それにしてもサン・マルコ寺院の入口の扉が閉まったままなのは奇妙なことだが、今になって気が付くのは、実は運河に面した豪華な館だけでなくヴェネチア中の家の扉は勿論のこと、窓ち言う窓が閉まったままであり、その窓すら果たしてあったのだろうかと疑いたくなる様なその完璧さであった。だが僕は、この総てが静止し黄金の輝きを発しながら荘厳に化した世界のなかで唯一つだけゆっくりと移動していく黒い影の形のあるのに気が付いていた。それはカナル・グランデから漕ぎ出してきて今しがたまでサン・ジョルジョ島の島影に包まれるように光芒の帯びに隠れていたが、少しずつ東に向きを取って遠ざかっていく一艘のゴンドラであった。そのゴンドラを独りの影の形が漕いでいた。いや人とゴンドラはおもむろに動いているただ一体の影の形にしかすぎなかった。孤愁漂う黒い影の形はそのまま進めば何処へ向かうのだろうか。リドの島の脇に伸びた石壘のアーチの水門を潜ると外はアドリア海である。なにかに誘われ、駆り立てられてと云うのではなく、さりとて確かな目的を抱いてと云うのでもない。

    月や太陽が自明の軌道に沿って地平線に落ちていくように、避けがたい不動の運命に従ってただゆっくりと動いていく。黒い影の形に漂う孤愁は、その運命の糸に操られるのを悟了しながら赴かねばならない諦観の姿に外ならなかった。

    大きな溜め息が在った。僕は、その黒い影が人とゴンドラの一体になった形として“見えている”のは、実は、それだけが動いているからであって、若し動き停める時、黒い影は黄金の相に覆われ消滅するように“見えなく”なってしまうのだと直感した。ヴェネチア全体は黄金に輝く不動荘厳の相に静まりかえっていたからである。黄金は、動きを停めようとする影や闇を待ち受け、その全てを吸収し尽していく。その為だろう。人間は古来よりそれに聖なる形象を与え暗黒の暗闇に安置した。ヴェネチアは如何ほどの闇と影を吐き出しまた呑み干してきたのだろうか?サン・マルコ寺院の内陣の暗がりにあって世紀し亙り影と闇を吸収し続けてきた黄金のモザイク。

それが今宵は不出の扉より繰り出してヴェネチアを荘厳の都に変え謝肉祭の最後を飾っているのではないのか!舞台は整っているのである。重層する幾つもの時代を経てヴェネチアが蓄えてきた無量の闇と影が日暮れとともにマンとを翻し仮面を装い黄金の表層の裏面の底知れぬ深みから復活してくる。そしてサン・マルコ広場や二本の柱に守られた此の祝祭のピアッツエッタはひと時、復活した死霊賛歌の華麗な舞踏の渦に席巻されるのだ。今宵の黄金の静寂はヴェネチアの絢爛豪華な舞台のために用意されていたのだった。

   静かだった僕の心は祝祭の劇の前触れに次第に期待と興奮の度合いを昂かめていた。楽しみに待っていよう、いま暫く。未知なるG・Cが現われるのも間近である。それまでに今一度『動いて行く黒い影』を追っていくことにしよう。

    ゴンドラの影の形は小さくなってリドの水門に近ずいていた。彼方にアドリア海が拡がり空と海の接する東の最果てに燃えるような金色の厚い帯が空と海の両方から湧き出て南北に伸びている。「黒い影」は明らかにその帯に向かって進んでいた。影は次第に小さくなって点となり動かなくなり最後に金色の帯に融けて見えなくなってしまうだろう。僕にはそれが「影」に約束された動かし難い運命であるのが判った。「影の形」は一旦は黄金の中で形を消滅しそこに留まるだろう。如何ほど留まるかは知る由もない。確かなのは今宵のヴェネチアの謝肉祭の様な日に黒衣を装い黄金の仮面を付けて祝祭の舞台に現われて来るだろうということであった。

   影も闇も不明なものの全てを覆い隠し呑み尽す黄金の恐るべき力、それが絶対の消滅でないことを祝祭の舞台に架けて黙示するヴェネチア。存在の「実」も「影」も、「生」も「死」も、

けだし此の世に現れ命を息する機会を与えられた人間の無にも等しい微々たる力が、そうとしか区別し名ずけようが無かったための貧しい名称ではなかったのか、と僕には思えてくる。そして今日という日、僕はこのヴェネチアに在ることに譬えようもない戦慄に等しい喜びを覚えずにはいられない。なおのこと見知らぬ友、G・C の深く巡らした驚嘆の演出に言い知れぬ友情を感じない訳にはいかない。所で親愛なるG・Cよ、そろそろ僕に現れて来てほしい。

                ・・・・・・・・・

   渚さに一陣の風が立ち、金色のさざ波が瑠璃色の波紋を起こした。一艘のゴンドラが目の前の船着き場に近ずいていた。僕が「影の形」の行き先に気を奪われていたからであろう。金色の残照を浴びて逆光のなかに全体の輪郭を失った影絵の様で、さざ波に大きな波紋を描きながらラグーナの水底から浮き出てきたとも思われた。見知らぬ友G・Cが現われたのだと、戦慄が足元から背中に走って言い知れず心が震えた。僕はやはりある種の不安を抱いて此の瞬間を待ちつずけていたのである。第一G・C のイニシャルをもった友が今までに居たのかどうか、何かの機会に或いはいきずりに親しくなってお互いに名乗りあい、記憶からは完全に消えてしまった見知らぬ人であるのか、それすら定かでない。だのに僕はわざわざ旅先のシエナから一日をかけてヴェネチアへ来たのだ。何のことはない。それがいつもの僕の流儀であり、風向きに合わせて運命が操る凧糸に繋がっていると言うだけのことだ。何もエトルリアの鳥占いを煩わせる事もない。見知らぬ男が残した流麗な文字とG・C のイニシャルは僕にとっては運命が与えた一個のダイスであり僕はそれを未来の地図の上に投げたにすぎない。僕にとって生涯を予め定められたあの「安定した」、「確実」な生き方、その為に世間からは信頼され、うまく行けば尊敬もかち得るだろうということなぞ、六面が全て「吉」の文字で刻まれたインチキなダイスにしか過ぎず、塵箱の隅に蹲くまった退屈な世話話でしかなかった。シエナを訪れていたのもドゥッチョウの「マエスタ」の荘厳性を構図の神学的図像学的解析で証明してみようという殊勝な心掛けからではなく、シモーネ・マルティ―ニやドゥッチョウがあの茶褐色の静かで小高い丘上の街で春の日を楽しんだ様に、「今」の時を超えて「今」の時を友に楽しみたかったまでのことなのだ。「優美で、厳かな楽しみの高み」をモンタルチーノの芳醇な赤ワインで心いくまで味わいたかったのだ。

   そして「今」は、ヴェネチア。僕はジョルジョーネが幾つかの深い経験から得た劇的イリュージョンを統合して描いた、あの「テンぺスタ=“嵐”」の画像にも匹敵する場面を目の前にしながら、同時にその中に僕がいる。それを舞台に圧縮された人生の劇が今まさに始まろうとしている。・・・ゴンドラは船着場の渚に着いた。

―――――――――――――             

 

ジョヴァンナ・カヴァッリ:黄金の仮面を架けて緋色の衣裳を漆黒のマントで覆い現われる。     

Bar Florian;コーヒーの香り立つ。

 

    「ジジ、お待たせしましたわ、私、誰だかおわかりになって?」

    「え?・・・その声は・・、まさかジョヴァンナ、・・・ジョヴァンナ・ヴェッツア― ニ?」

       「まあ嬉しいわ、ジョヴァンナよ、私の声お忘れでなかったのね、でも今はジョヴァンナ・カヴァッリ」

                  「はっ?・・・Giovanna Cavalli!・・・、するとシエナで僕にメッセージをよこしたのは・・G.C つまり君というわけ? まさか、可愛い少女は僕のことを“素敵なおじさん”とか言っていた。それにあの筆跡はまぎれもなく男のものだ。」 

                  「おほほ、ジジ、貴方早とちりだわ、私、メッセージの主人公ではありませんわ。第一、シエナになんか行ってませんもの、

若しそうだとしたら私、遠くからでもきっとじじ!と叫んで飛んで行ったわ。でも無理ないわ・・・おなじイニシャルですもの。実はその方、遠い私の御友達なの、「遠い友達?・・男の・・」

「そう、そうなの、申し訳ないわ、その方の代わりに私、此処へ来たの。わけは聞かないで、ただあの方、急に旅立たねばならなかったの・・

   「おかしな話だな。そしてG.C と言う方のフルネームとは?」

                 「今は申し上げられませんわ、言えることと言えば、ジジとナポリでお会いするずっ以前からの古い時を越えたお友達なの、

私、以前に古いヴェネチアに絡んでその事を貴方に語った覚えがあるわ、・・・私には、時を越えて消えることのない「影」の男がいると、じじ、その時貴方はおっしゃったわ、『そんなあてもない「影の男」とは別れろ』と、妬いていたわね、その男よ!・・ヴェネチアに生きる影なの、・・

G.C!、世紀を越えてこれと思う女を見詰め離すことのない影の男・・・」。

     「じゃ、ジョルジョ・カヴァッリとでも呼ぶ男かな?」、いいえ違うわ「カヴァッリというのは、ジジとあの夏、ナポリのヴォーメロの丘でお別れして間もなく結婚した男の姓よ。画家だったわ・・ジジと同じように、私がヴェネチアの女というだけで夢中になったのよ・・変わ           ってるわね」・・・さて、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」                                                                                                                                     抒庵

「山の辺の道にて」

Ⅱ.            

東雲の

佐保の山辺に

白衣の

にほうが如く

霞み棚引く

   何処かで、瑠朧の春を謡う女人の声がしていた。のどかでまろやかなその声に何故か覚えがあった。何時の頃からだったのだろう、若しかして遠い昔、僕が生まれてくるずっと前から聴いていた様な気もする。

   いつの時代にも男たちが抱き求めている若くて美しい“にほうがごとき”女人、それでいてほのかに母性。ふと振り返り、抗い難く抱きしめたくなる様なあの艶麗な女人の声なのだ。

   謡いはちかくに聴こえていた。円照寺を登る山の辺の曲がり路でその声は現われた。若草の萌える様な緑が、どこかで見たことのあるその顔に映えて眩ゆく思はれた。「あら、やっぱりいらして下さったわ、お待ちしてましたの」、謡いを停めたその声は明るく弾んでいた。「あ、貴女は・・・」僕は思わず息を呑んで小さく叫んだ。春霞の中に妖しく木蓮の蕾が白く花開いたと思ったからだ。

   「さ、何もおっしゃらないで・・・」、女人はふと寂しげに微笑むと僕から言葉を消してしまった。久しい出会いに僕は、嬉しくもどこか物悲しい気持ちを併せ抱きながら肩を並べ山の辺の路を登り始めた。女人はただ幸わせそうだった。心に通うだろう男と二人でいることが嬉しいらしく、それをひたすら言葉に顕わした。「貴方を最後にお見かけしたのは、確か浄瑠璃寺の池のほとりでしたわ、それも随分昔の事、木津の埋谷に禅竹の墓所を詣でに行くとか、土地の未だお若い陶芸家の方と御一緒でしたわ。

   お二人でとっても楽しくお話しなさっていらしたのを私、興味深くお聴きしておりました。秋の日の午後でした。貴方は私がずっと近くにいるのに、少しもお氣付きになりませんもの。無理もありませんわ、」女人は明るく笑い、その笑いが葉隠れにこぼれた。

   僕は記憶の糸を昔にたぐりながら、山あいの木立に覆われたその平安の寺の幾つかの情景を憶い出していた。木津川の両岸に急に山が迫る鹿背に窯を営む男の案内で、初めて訪れた時のことだったろう。秋とはいえ夏を惜しむ気配が、軒下の露地や茜色の雲を映す池の面に在った。人は疎らだった。古寺巡礼の女子学生らしい数人と二組の初老の夫婦の外は思いだせない。若しかしたら居たのかもしれない。僕達に気付かれない様にひっそり居たのかもしれない。何故言葉をかけてくれなかったのだろうか。でもその事が今、

とても嬉しかった。だが若しかしてあの時の・・・?僕はふと池を巡って西方に向かう位置にすわった時のことを思い出そうとしていた。女人は少し悪戯っぽく僕の顔を覗きこみながら、楽しそうに続けた。「あら、探していらっしゃるのね。そう、そうだわ私、あの時貴方の見ておられた視界の中に居ましたのよ。貴方は池を隔てて本堂の閉じたままの白い障子をじっとご覧になっていました。障子の裏側では、九体の阿弥陀仏が並んで座り閉じられたその障子越に池の面をただ黙然と見下ろしていました・・・」、「あっ、もしやして・・・でもまさか、」僕は一瞬呆然として歩みを停めてしまった。そしてその時の光景が白昼夢を見るように蘇ってきた。あれはやはり、本当に起きた事だったのだ!幻想なんかではなく実在したのだ。あのとき僕は池の面を見ながら一念に念じていた。「そうでしたわ、貴方はひたすら極楽来迎を見たいと念じておられました。白障子が開いて金色の仏が現われ、その御姿が水面に映り揺ら揺らと立ち上がるのを熱心にお待ちになりました。私は本堂の軒下の露地に立って一緒に念じておりました。・・・時が経ちました。本堂の裏の森に陽が沈み辺りに夕靄が忍び寄っていました。その時でしたわね。貴方はとうとうご覧になったのです。そして・・・」そして僕は正に障子が開かれ金色来迎の場面を映す池の水面に、九品の仏と共に、幽艶な姿を現した一人の女人いたのを判っきりと思いだした。「あっ、あのときの女人は・・」僕の心を悲鳴に近い喜悦が走った。それは池を挟んで本堂と僕を結ぶ視界の間にある池の縁の石灯籠の傍らで起きたことだった。いやその灯朧籠自体が女人に変化したのだとばかり思っていた。

   「ほら私、いましたでしょう、お判りになって?・・私、御仏と共に貴方に現れましたわ。貴方の御熱心な念願を叶えてあげたくて、そして貴方にお会いいたしたくて・・」、女人の声はどこまでも晴れやかで優しく、僕の昂ぶった心を鎮めていった。のどかな春霞が山の辺の起伏を包みこみ、言葉にならない悦びが女人の上気した横顔から伝わってきた。

あてもなく山の辺の路を辿っているうちに、とある小さな古池にでた。池の面が、低く垂れ重なりあってゆっくりと過ぎて行く雲を映していた。近くに咲く木蓮の白い豊麗な花弁が、女人の精であるかのように思われた。明るいなかに憂愁の翳りを忍ばせて女人は微笑んだ。「いつの頃でしたかしら、大和路の名も無いお寺でしたわね。雨に濡れながら散って行く山門の八重桜の樹の下で、さる方におっしゃたこ事、今も覚えておられる?貴方はその方の命がそんなに長くないのを御存じで、その日を共に過ごされていました・・・、

―花びらが幾つも幾つも散って行く、濡れた地面を赤く染めて行く、まるで無くなっていく命の血みたい―、すると貴方は、“そうかも知れません。でも新しい命の樹を育てるために、だから美しく散るのでしょう。あの枝と別れて地上に落ちる迄の、ため息に似た時間。僕達の命も丁度あの一輪の花ビラの命。いつの頃からか僕は、桜に寄せるこの国の古からの気持ちを受け容れられるようになりました”。その貴方の言葉を聞いて女の方は心持ち微笑んでいましたわ。・・・今も同じお気持ちをもっていらして?」、女人は少し揶らかう様に尋ねた。僕はしばらく間をおいて答えた。「今の今、過ぎて行く瞬間以外にあてになるものがあるとは思えない。その瞬間だって本当は在るか無いかの様なもの、在ると言えば在る、無いと言えば無い。ただ、今こうして生きているので在るというしかない。ですから今日の此の過ぎ行く日を貴女と居ることが、僕にはどんなに嬉しいことか。・・・悦びに満ちた瞬間が限りなく膨らんでいくのですから、だからどの瞬間だっていい、今日の日に散るのならあの桜の花びらになれるのではと・・・」

   今にも雨が降りそうな気配がしていた。時折、池にさざ波がたって水面に映った雲を乱した。女人は池の面を見ながら放心の面持ちで聞きいっていた。僕は続けた。「瞬間はそんな時、無限そのものなのかも知れません。此の世の今見えている世界とは別に、不思議な時の流れの世界が在るのを垣間みせている様に思えるのです。それは遠い昔に忘れてしまってうて、若しかしたら此の世をはさんで過去と未来が全く同一である様な、そこへ帰れば、

“ああ、そうだったのだ”と言うだろう世界・・・そうですとも・・・ですから・・・」、「ですから、ふと今の瞬間散れるものなら散りたい、とおっしゃりたいのでしょう・・そうしたら此の世とは別の世界へ私と共に行けるのではと・・・」、女人は放心した面持ちのまま僕の顔を覗き込むと、夢見るように語り続けた。「名残り惜しみて散る花のあるらん。いつの日ぞ相いまみえんと願えど、念ずる心此の世になかりせば、能たわず・・・おわかりかしら、瑠朧の春にこうして貴方とお会いしている私の悦び、どんなにか貴方に感謝して、・・その昔、私、貴方と香わしい春の大和路を歩きたいとばかりに夢見るよう生きておりましたわ。だのに貴方への想いをひと言だに託し得ず、旅立たねばなりませんでした。貴方も又、長い歳月を外国に、・・でも決してお忘れになりませんでした。・・・今散りては叶うまじ、吾が希い汝れに託くせば・・・どんなにか嬉しく、今日こうして貴方と共に居ることのできる此の世の喜び・・・それに貴方には大切なお仕事がおありでしょう・・でも、とても叶わぬお仕事のよう。私、これからすこしお手伝いさせていただきますわ、きっとお役にたてて・・・、わたし、本当は“遠い昔に忘れてしまった”と、先程貴方がおっしゃっていたその世界を熱心に探している方のお傍に居たいのです・・・」。

   いつのまにか雲も薄れ、女人の頬にうららな春の陽がさして真珠の輝きを帯びていた。その真珠の輝きこそ女人の想いの底から浮かび上がってくる眩い程の情念に違いない。どれ程の歳月が深い涙の海を輝く真珠に変えてのだろうか。僕の心は、説明し難い深い喜びと底知れぬ悔恨の間で揺れていた。「それは、運命なのだろうか」僕は自問するように尋ねた。女人は黙って答えなかった。こうして無言のまま時が流れた。

   陽はようやく遠くの二上山の方へ傾いていた。先程から木蓮の樹の傍らに佇み、落陽を惜しむかの様に西を望んでいる女人の口許に、夢見る様に謡う声が洩れていた。その誦詠の韻は嫋嫋としてどこまでも心を浸していった。

                 現身(うつせみ)の姿を假りて

                 夢に舞う

                幻の命の美しく

                お前に あの方の面俤を

                差し上げよう

                 ――――――――

     奈良、興福寺に般若の芝と呼ばれる寂れた場所がある。その昔、南大門が在った処に、今は礎石だけが残っている。猿沢の池を見下ろし、かって殷賑を極めたろう。見上げれば五重塔が虚空に宇界を広げる。

    或る年の冬、僕は一人で此処へやって来た。雲の低くたれる寒い冬の日だった。風が鳴っていた。梢にも軒下にも、落葉の木立の庭に一匹の雌鹿がたむろしていた。少しずつ目を移すと二面を囲む黄土色の土塀の瓦屋根が竜の背の様にくねっている。傾いた土塀を等間隔にくぎる木の柱がどれもこれも朽ちかけていて、この空間に誰か忽然と現われてくるような気配が漂う。ドキリとして足を停める。土塀の脇か軒下か、それとも木立ちの辺りか雑草の陰か。確かに誰かがいて不意の闖入者を窺っている、・・・居ない。

    たれだろう。ここに昔から棲みついている霊なのか・・・、鳩が二羽、目の前に舞い降りてきた。風が急にやんで梢の枝葉の間で灰色の空が低く甘く悲しい。また風がたつ、葉が鳴る。・・・その時だった。何処からともなく韻を含む嫋嫋の音がきこえてくる。松風揺れては消える女人の声か、耳を澄ますとまぎれもなく謡っている女人の声に違いない。縹渺として絶え絶えに風の中に消えていく。

                  現身の姿・・・

                  夢に舞う

                幻の・・・美しく

             ・・・あの方の面影を

                差し上げよう

                あの方に・・・・影を

               ・・差しあげよう

抒庵

「見知らぬ旅へ」

Ⅰ.

    旅立とうとしていた。消え去った或る男の足跡を辿ることになるのだろうか。今となっては、男はオリーヴの枝波に漂う微風の影となってしまったに違いない。

   「影」が扉を叩いていた。見知らぬ旅への扉を叩いていた。一陣の風が吹き抜けると、芳ばしい香がたった。旅人は歓びに震え、自分の中に蘇生していく何かを、それどころか生まれ変わった自分の分身の現われるのを感じていた。

   心のスクリーンに一つの幻像が浮かびそれはあの男の「影」であって傍らに立っているように思われた。「影」は懐かしそうに彼を眺めている様に思われた。やがて その「影」は透明な光を湛えた若者の「像」であるのでは、気付きはじめた。「像」何も言わずただ静かに、微笑を浮かべ佇んでいた。その「影」は未知なる世界、多分、肉体を取り去った無量の時間の中に「影」の男が生き続け、地上からは姿を消したあの国へ彼を連れて行ってくれるに違いない。

   「影」は彼の手をとり、彼は「影」に全てを委ねた。こうして旅人も又、かって住んだこともない時間のなかに生きる運命を辿ることになるだろう。彼は迷うことなくそれに従った。全く様相を異にした時間に住まう「影」の「像」と、旅人がどの様に繋がっていくのか、彼には考えてみるのも無駄であり無意味なことに思われた。

   旅人は然し、未知なる旅へのどんな前触れも、彼岸に対して抱く胸騒ぎや予でしかないのだ、と感じていた。

抒庵

風閃山門

風閃山門      かぜさんもんにひらめき

星霜去来      せいそうきょらいす

生死無窮      せいしきわまりなく

不知寂滅      じゃくめつをしらず

播州真言宗 若王山 無動寺にて詠む                      

抒庵

コスモスの花びら

紫に震え コスモスの花びら

純白の小筐に 一輪の

空 崇く透け

野に乱れ咲け

彼岸花

赤き血の

墓の僕(しもべ)

使徒ヨハネ眠れば

抒庵

沈黙

お前に潜む 果てし無い沈黙

沈黙を宿し 沈黙に抱かれ

お前は 限りなく小さく

滅することもなく 無窮のしじまに漂う

沈黙より生れ 沈黙を宿し

お前は 沈黙に抱かれ 沈黙に帰る

不可知なる沈黙 果てし無く

よも 滅っすることもなく・・・

抒庵

「クルスの三つの詩」

花くるす

花クルス

花クルス

丘の上

蝉まどろむ

紫の影深く

蔦の葉まつらう

 

群青の空

いにしえに逆らうことなく

黄金の雲 はや

茜色をやどしたり

クルスの傍ら

人影たたずむ

 

三つの溜め息

詞(こと)の葉をのみ

永劫の時を拍つ

潮の香 西に立ち昇り

白き水鳥は

黄金の雲に立ち向かう

 

花クルス

花クルス

今日も又

聴かざるや潮の音を

見ざるや海の顔を

抒庵

 

浜クルス

浜クルス

浜クルス

潮騒の浜に

たゆたう

黒き影は

白州を貫き

深紅の波は

浜辺をあらう

幼き童達は

無心に貝を攫い(さらい)

夕餉の煙

入江に流る

根獅子・・・

何故に安らに暮れゆく

今日もまた

深紅の波は

海と空を洗い

無窮の頂きに

黄金の星を鏤(ちりばめ)る

浜クルス

浜クルス

聴かざる潮の音を

見ざるや童達のたわむれを

抒庵

                

島クルス

島クルス

島クルス

静かなる

海の上に安らう

いにしえより

殉教の島々の

真中に在りて

穢れなき

処女マリアの

心を宿す

隠れ道

蟹たわむれ

巡る路

女郎蜘蛛

陰を待つ

漁火(いさりび)は

島影に満ち

殉教の魂

夜潮にたゆたう

朝もやの祈り

幼な児ら

ひざまずき

クルスに向かう

背を屈めし老女の和唱

白きヴェールに流れ

七色の光彩

御堂に満つ

島クルス

島クルス

聞かざるや

きょうも又

島に満ちたる

クルスの唱を

見ざるや

夜空に映す

クルスの影を       

抒庵

   人間が人間であろうと歩み始めた始原の日、人間は微笑みながら地上に立ち、その一歩を踏み出しながら、目の前に広がる茫漠の世界に視線を注いでいた。それが人間であろうとする第一歩であった。古代ギリシャの大地に微笑みながら立ち上がる人間(ペルソナ)、世界を美しいと見るよう預託された人間(ペルソナ)。

   最早、それ以外の何かであることはない。こうした人間(ペルソナ)=自分で在り続けようとしてきた不思議を映し視る彼が残った。

気が付くとそれだけが唯ひとつ、ひと時の彼の生命(いのち)の流れに黙ってついてきた言葉があった。言葉は、時の流れに映る彼の姿影の奥にいつも在った。『神(ディーオ)』

抒庵

夢鏡

お前はあの方の夢鏡。あの方はそのお前に映ったご自身の姿を美しいと見確かめられ悦ばれるいない。お前は、生命(いのち)のお前に宿る此の世の季節にその像(すがた)を結ぶよう黙約されている。あの方の鏡であるお前に映った世界を見られ悦ばれるのを想い、お前も悦ぶがい・・・・・・・。

抒庵

「仕事場に在った詩の紙片」

               ことばは沈黙に

               光は闇に

               命は闇の中にこそあるものなれ

               飛翔するタカの

               虚空にこそ輝ける如くに

                         『エアの創造』より・・・

「夢に映る蓮の華」

Ⅰ.まだ目覚めていたのではない。あの方は微睡み(まどろみ)ながら美しい非の打ちどころのない夢を観ておられた。それはあの方自身そうであるべき姿の夢、“蓮の華”であった。微睡みから醒めながらあの方は、その華の姿を映してみたいと思われた。映し出してみる鏡を創りたいと思われた。美しいと感じる心と歪みなく考える力が与えられた。人間の心と脳裏のスクリーンに華はその像(すがた)を映し始めた。又、人間は自分があの方によって創られつつあるあの方の鏡であることを少しずつ気付きはじめた。そして、その鏡が結ぶ像の姿をあれこれコピーしようと試みた。でもあの方は、未だかってどれを正確な姿ともおっしゃらない。あの方は沈黙し黙示なさるだけである。

Ⅱ.美しいと感じる後背にあの方の存在を感じないだろうか。夜空を見上げて又、蓮の華を観て美しいと魅せられる魂にはあの方のナルシスムが影のように寄り添ってはいないだろうか。あの方は人間の魂を透して自ずからの夢に結ばれた世界を美しいと感じたいのであろう。魅せられたいのである。人間がそうであるように働きかけておられるようだ。

人間は、自分自身を代行するものとして作り出したコンピューターが勝手に作り主の人間から能力を奪って離れていくように、あの方か勝手に離れようとしている。何故だろうか。

抒庵

「画家ゴヤについて想うこと」

   スペインの真昼、光の中に闇を視た男、幻覚だろうか、そこに現れる幻像をゴヤは描いていた。乾板に焼き付いたネガティーブの現実を投写した。人間についての、社会についての失意、虚妄の栄光に決別して闇を視る人へ、「巨人」と「我が児を喰らうサトゥルヌス」、巨人にもサトゥルヌスにもゴヤ自身が投影されている。だがそれよりも、「創造主は自ら創った人間の悲惨を嘆き、その愚かな姿に遂には狂人と化し・・・喰べてしまった」。この単純なイメージに創造主と人間の関係を暗喩したのかも知れない。神はよかれと思って【人間】を創られたであろうに。人間の救いようもない愚行は神を狂わせてしまった。

   この二点の作を観ていると僕には、スペインの荒野に展に向かって拳を上げ一人慟哭する人間ゴヤを見る想いにとらわれる。                     

抒庵

「ヴェネチアを想う」

   官能をその故郷である肉と魂にこれ程親密に結び付けた街があるだろうか。サン・マルコ広場の船着き場で、対岸に浮かぶ島,聖ジョルジョ僧院を眺めながら、一夜想いにふけったことがある。大運河(カナル・グラン)の水がひたひたと岸辺の石垣を洗いさざなみに揺れるゴンドラを月明かりが包んでいた。水面が月の光にキラキラ光り銀の帯となって僧院の島影を際立たせていた。光の帯は肉に疲れた魂を死者達の霊にいざない、官能の広場から霊に庭に渡された銀の橋となった。「死(モルテ)」とはなんと平安な響きをもった言葉だろうか、ここでは。

  夕宵、運河は街の燈火を映し豪奢万華の光の帯に変貌する。リアルトの橋の袂でその豪奢な光の饗宴に酔いながら、僕はムラーノのガラス細工の砕け散る音,匠達のため息を聴いていた。「俺達の色彩は未だあの運河の水面にも及ばない。・・・あの澄んで光と戯れる官能のさざ波・・・神よ!」  

魂と肉に花開くヴェネチア、幻影と実像、素顔と仮面(マスケラ)、「ヴェネチアは世界の核心・・・」とリルケは詠うが、カーニヴァルの日に人の世の明暗虚実をこれ程に美しく狂おしく歌い上げる街が外にあろうか。

ヴェネチアの想いは続く、聖マルコ大寺院の内陣の暗がりにキラめく黄金のモザイクが僕の想いを遠くビザンツの昔にいざなう。            

 抒庵

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彫刻家二田原英二公式ホームページ