Sculptor Eiji Nitahara

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Ⅲ.渚にて

Ⅲ.

陽が傾き春の日が暮れようとしていた。謝肉祭というのに街じゅうが静まりかえっていた。第一このピアッツエッタからサン・マルコ広場を見渡した限りでも人影らしい気配すらない。見知らぬ或る男からの連絡を受けて僕はわざわざ旅先のシエナからこのヴェネツィアへやって来た。今日の夕方、ゴンドラの船着き場の渚に椅子をだして待っていてほしいいと言うのだ。つまりサン・マルコ広場野の有翼の獅子像と聖テオドーロの像を戴くあの花崗岩の二本の円柱を見上げながらだ。

   数日前のことである。シエナの朝の心地よい陽射しが貝殻状のカンポ広場にプ

ッブリコ宮殿の影を緩やかに描いていた時刻、僕が、あくびをしながら碧い空を仰いでいると八つになるかならぬかの少女が、それも見知らぬ可愛い少女が貝殻の広場を斜めに真っ直ぐ歩いて来て小さな白い紙きれを僕に手渡した。“おじさん、これメッセージよ”思いなし傾げた顔に陽が射して華奢な肌が大理石の様に輝いた。額で透けるように小さな渦を巻いていている細い金髪のせいだろう。

   “有難う、誰かに頼まれて?”“ええ、ほら、あそこにバールが見えるでしょ、素敵なおじ様に頼まれたの、ベージュのコートを着た方よ”、少女はあどけなく淡い緑色の瞳を見開いて広場の端の方に向かって顎をしゃくると、不思議そうに僕を見上げた。それは、どこか見覚えがあるわ、といった表情であった。僕は、バールの方を確かめたがそれらしい人影は見当たらなかった。多分、少女が僕に紙きれを手渡すのを見届けると急いでバールを後にしたに違いない。『若しよろしければ、謝肉祭の最後の日の夕刻、ヴェネチアでお会いしたいのですが、サン・マルコ広場のゴンドラの船着場で、貴方の古き友 G.C より、友情を込めて』と、二つ折の紙に流麗な走り書きで記してあった。誰だろう。しばらく特徴のあるG.C のイニシャルを手掛かりに記憶の糸をたぐるのだが、どんな顔も浮かび上がってこない。幾度か訪れたヴェネチアへはいつも独りだったし、いきずりに知り合った女であるはずもない。かなり風変りな誘いだとはおもうが、さりとて何か品よく仕掛けられたわなだとか巧みな企てとも思えない。

   僕は思案に暮れ、ただぼんやりと広場に這う建物の影を目で追った。結局は今日一日の気分次第ということになるだろう。或いは、古代エトルリアの鳥占いよろしく北の空を見上げながら、飛ぶ鳥の行く方で決めることになるだろう。気が付くと淡い金髪の少女は居なくなっていた。もはやG.C が誰であるのか知る手だてはない。

   先程まで貝殻の広場の外縁まで延びていたのっぽのマンジャの塔の影が短くなっていた。褐色の建物に囲まれ、なだらかな傾斜の広場が昼下がりの陽気で温められる頃、行きかう人の動きは緩慢となって遂には歩みを停めてしまう。そして思い思いに石畳に腰をおろし背をこごめ、こうして広場は極上の憩いの場になっていく。

   僕は何故か、広場の片隅のバールに陣取り、本を手にしたり書き物をしながら、時の流れに形を変え変容していくマンジャの塔の影を日長一日追うのがすきで、ほとんどそのためにこのシエナに滞在しているのだと言ってもおかしくはなかった。山上の城郭の街が間昼間、茶褐色の露地や壁の陰影を濃くする時刻、人影の停まった外れのテラスに立って波打つオリーヴ・グリーンの起伏を見下ろしていると、それだけで幸せになって行く。どんな言葉もいらない。ただ幸せなのだ。

   過ぎ行く今に自足するのがどんなに素晴らしいことか、説明するのは難しい。どんな言葉も,否、人までも、しまいには曖昧模孤となって消えていく。全ては大きなため息でしかないのだ。

   僕はかってこの街にシモーネ・マルティーニの優美さやドウッチオーの荘重さに憬れて遥々、異国からやって来た。古ぼけた美術書の色刷りを繰り返し眺めているうちに、憧れは本物になっていた。初めて見るマエスタ「王座の聖母」を前にした時、美術書が解説する「精神の集中、荘重と抒情」という言葉がようやく真実の響きとなったのを覚えている。素晴らしいことだった。言葉が肉付けされ、肉付けされた言葉が僕のなかで「生」を生きはじめている。一つの『生の形式が』が誕生していたのだ。

   僕はいつの間にかパンタネト通りの外れのピスピーニの門に近いホテルに戻っていた。かなり想いに耽っていたらしく何処をどう歩いて来たのか定かでない。ホテルの白髭を両頬に蓄えた老いた小太りの玄関番がキーを差し出しながら“旦那様、メッセージです。お知り合いの方とか申されて電話がありましてね・・”と伝言用紙を差し出した。『先程は急いでいましたので失礼しました。ゴンドラの船着き場では椅子に座って厚手のジャケットを念の為、ヴェネチアの夕暮れはかなり冷えますので・・・、私は多分、仮面を付けて参ります。風変りな趣向と思われるでしょうが、私としましてもひさしぶりのヴェネチアです。それに何よりも貴方様とのお話を楽しみにしております。貴方の古き友 G・C より』、又してもあの男からの連絡なのだ。そして如何にもヴェネチアらしい風変りな・・、僕の決心はこれで殆んど決まった様なものだ。若しかしたら,こうした仮面舞台の場面ででもあるような出会いの機会をひそかに待ち望んでいたのかもしれない。

   僕の心は昂ぶっていた。窓を開けるとトスカーナの丘陵がオリーヴと葡萄畑の緑で濃淡の翳りをつくりながら、透明な光の粒子に満ちた空の下、茶褐色の霞の野に遠く広がっていた。ヴェネチアはこの霞の更なる向こうにあるのだろう。窓辺の淡い緑のカーテンに波だった。ラグーナの潮の香が風に融けて、あの忘れて久しい官能の香りを運んでいたのだ。

             ・・・・・・・・・・・・

夕暮れもいつになくゆっくりとしていた。広場も聖堂も運河も紫紅色の暮色の中で千年の息の根を停めたかのように、静まりかえっていた。大鐘楼が広場に影を落いとし,バラ色のドゥカ―レ宮殿は薄紫の大理石に変わろうとしていた。相変わらず影はなく、運河に行き交うゴンドラもなかった。謝肉祭の最後の日だというのに、聖マルコ寺院の扉は閉まったままなのだ。

かって大祭礼の日を、こんな具合に迎えたヴェネチアがあったのだろうか?千年を越えてビザンチンの栄光と繁栄をアドリア海の空と海に欲しい儘にしてきた不倒のヴェネチアだ。饗宴につぐ饗宴にひと時の休息や空白を渇望したとしても少しも不思議はない。しかも選りすぐって謝肉祭の最後の今日という日に・・、僕の想いは、渚に沿ったスキアヴォー二通りから対岸の聖ジョルジョ島に目を移すことでとりとめもなかった。

   そうだとも、こうした静謐の日を用意することこそがイエス・キリストの復活に最も相応しいのだ。それをためらわず大胆に実現してみせるのはヴェネチアを措いてあろうはずはがない。聖マルコの遺骸と称して豚の生肉に隠し、825年エジプトのアレキサンドリアから此のヴェネチアに運んできたのも彼らであるのならば、それをネタにヴェネチアを巡礼のメッカにしたてあげ、おおいに利に与かって来たのも又、ヴェネチアではなかったのか。

     僕は、この世を劇の舞台と見抜き、仮面を与え、虚実織り交ぜながら人生の劇を大胆不敵に演じ抜いてきたヴェネチア人に、今、限りない共感を覚えるのだ

G・C氏が今宵、素顔を仮面で覆って現われるというのも彼に本意のヴェネチア人が潜んでいるからのことで、それは僕への心からなる歓迎の徴であるに違いない。なんという今宵の静謐。それはこれから始まるであろう予感をはらんだドラマ『劇』の幕前の静寂に見事に呼応しているではないか。それにしても何という静謐!静寂!

 カナル・グランデもサン・マルコ広場もラグーナを越えてリドに向こう側のアドリア海に広がる全ての水域、寺院も鐘楼も宮殿も、運河に沿った館もヴェネチアの全ての建物が夕映えに鈍く黄金の輝きをおびて輝いていた。空も又、西から東にかけて次第に朱を帯びながら黄金の光芒を放っていた。そこには金色に輝く荘厳の相を顕在化したヴェネチアがあった。あだかもサン・マルコ寺院の内陣の闇の中で数世紀を息ずいてきた豪華絢爛の黄金のモザイクが、今日という日のこの時刻のために門外不出の扉を開いて繰る出し、ヴェネチアを荘厳の異界の都に変えてしまったのだと思わせた。それにしてもサン・マルコ寺院の入口の扉が閉まったままなのは奇妙なことだが、今になって気が付くのは、実は運河に面した豪華な館だけでなくヴェネチア中の家の扉は勿論のこと、窓ち言う窓が閉まったままであり、その窓すら果たしてあったのだろうかと疑いたくなる様なその完璧さであった。だが僕は、この総てが静止し黄金の輝きを発しながら荘厳に化した世界のなかで唯一つだけゆっくりと移動していく黒い影の形のあるのに気が付いていた。それはカナル・グランデから漕ぎ出してきて今しがたまでサン・ジョルジョ島の島影に包まれるように光芒の帯びに隠れていたが、少しずつ東に向きを取って遠ざかっていく一艘のゴンドラであった。そのゴンドラを独りの影の形が漕いでいた。いや人とゴンドラはおもむろに動いているただ一体の影の形にしかすぎなかった。孤愁漂う黒い影の形はそのまま進めば何処へ向かうのだろうか。リドの島の脇に伸びた石壘のアーチの水門を潜ると外はアドリア海である。なにかに誘われ、駆り立てられてと云うのではなく、さりとて確かな目的を抱いてと云うのでもない。

    月や太陽が自明の軌道に沿って地平線に落ちていくように、避けがたい不動の運命に従ってただゆっくりと動いていく。黒い影の形に漂う孤愁は、その運命の糸に操られるのを悟了しながら赴かねばならない諦観の姿に外ならなかった。

    大きな溜め息が在った。僕は、その黒い影が人とゴンドラの一体になった形として“見えている”のは、実は、それだけが動いているからであって、若し動き停める時、黒い影は黄金の相に覆われ消滅するように“見えなく”なってしまうのだと直感した。ヴェネチア全体は黄金に輝く不動荘厳の相に静まりかえっていたからである。黄金は、動きを停めようとする影や闇を待ち受け、その全てを吸収し尽していく。その為だろう。人間は古来よりそれに聖なる形象を与え暗黒の暗闇に安置した。ヴェネチアは如何ほどの闇と影を吐き出しまた呑み干してきたのだろうか?サン・マルコ寺院の内陣の暗がりにあって世紀し亙り影と闇を吸収し続けてきた黄金のモザイク。

それが今宵は不出の扉より繰り出してヴェネチアを荘厳の都に変え謝肉祭の最後を飾っているのではないのか!舞台は整っているのである。重層する幾つもの時代を経てヴェネチアが蓄えてきた無量の闇と影が日暮れとともにマンとを翻し仮面を装い黄金の表層の裏面の底知れぬ深みから復活してくる。そしてサン・マルコ広場や二本の柱に守られた此の祝祭のピアッツエッタはひと時、復活した死霊賛歌の華麗な舞踏の渦に席巻されるのだ。今宵の黄金の静寂はヴェネチアの絢爛豪華な舞台のために用意されていたのだった。

   静かだった僕の心は祝祭の劇の前触れに次第に期待と興奮の度合いを昂かめていた。楽しみに待っていよう、いま暫く。未知なるG・Cが現われるのも間近である。それまでに今一度『動いて行く黒い影』を追っていくことにしよう。

    ゴンドラの影の形は小さくなってリドの水門に近ずいていた。彼方にアドリア海が拡がり空と海の接する東の最果てに燃えるような金色の厚い帯が空と海の両方から湧き出て南北に伸びている。「黒い影」は明らかにその帯に向かって進んでいた。影は次第に小さくなって点となり動かなくなり最後に金色の帯に融けて見えなくなってしまうだろう。僕にはそれが「影」に約束された動かし難い運命であるのが判った。「影の形」は一旦は黄金の中で形を消滅しそこに留まるだろう。如何ほど留まるかは知る由もない。確かなのは今宵のヴェネチアの謝肉祭の様な日に黒衣を装い黄金の仮面を付けて祝祭の舞台に現われて来るだろうということであった。

   影も闇も不明なものの全てを覆い隠し呑み尽す黄金の恐るべき力、それが絶対の消滅でないことを祝祭の舞台に架けて黙示するヴェネチア。存在の「実」も「影」も、「生」も「死」も、

けだし此の世に現れ命を息する機会を与えられた人間の無にも等しい微々たる力が、そうとしか区別し名ずけようが無かったための貧しい名称ではなかったのか、と僕には思えてくる。そして今日という日、僕はこのヴェネチアに在ることに譬えようもない戦慄に等しい喜びを覚えずにはいられない。なおのこと見知らぬ友、G・C の深く巡らした驚嘆の演出に言い知れぬ友情を感じない訳にはいかない。所で親愛なるG・Cよ、そろそろ僕に現れて来てほしい。

                ・・・・・・・・・

   渚さに一陣の風が立ち、金色のさざ波が瑠璃色の波紋を起こした。一艘のゴンドラが目の前の船着き場に近ずいていた。僕が「影の形」の行き先に気を奪われていたからであろう。金色の残照を浴びて逆光のなかに全体の輪郭を失った影絵の様で、さざ波に大きな波紋を描きながらラグーナの水底から浮き出てきたとも思われた。見知らぬ友G・Cが現われたのだと、戦慄が足元から背中に走って言い知れず心が震えた。僕はやはりある種の不安を抱いて此の瞬間を待ちつずけていたのである。第一G・C のイニシャルをもった友が今までに居たのかどうか、何かの機会に或いはいきずりに親しくなってお互いに名乗りあい、記憶からは完全に消えてしまった見知らぬ人であるのか、それすら定かでない。だのに僕はわざわざ旅先のシエナから一日をかけてヴェネチアへ来たのだ。何のことはない。それがいつもの僕の流儀であり、風向きに合わせて運命が操る凧糸に繋がっていると言うだけのことだ。何もエトルリアの鳥占いを煩わせる事もない。見知らぬ男が残した流麗な文字とG・C のイニシャルは僕にとっては運命が与えた一個のダイスであり僕はそれを未来の地図の上に投げたにすぎない。僕にとって生涯を予め定められたあの「安定した」、「確実」な生き方、その為に世間からは信頼され、うまく行けば尊敬もかち得るだろうということなぞ、六面が全て「吉」の文字で刻まれたインチキなダイスにしか過ぎず、塵箱の隅に蹲くまった退屈な世話話でしかなかった。シエナを訪れていたのもドゥッチョウの「マエスタ」の荘厳性を構図の神学的図像学的解析で証明してみようという殊勝な心掛けからではなく、シモーネ・マルティ―ニやドゥッチョウがあの茶褐色の静かで小高い丘上の街で春の日を楽しんだ様に、「今」の時を超えて「今」の時を友に楽しみたかったまでのことなのだ。「優美で、厳かな楽しみの高み」をモンタルチーノの芳醇な赤ワインで心いくまで味わいたかったのだ。

   そして「今」は、ヴェネチア。僕はジョルジョーネが幾つかの深い経験から得た劇的イリュージョンを統合して描いた、あの「テンぺスタ=“嵐”」の画像にも匹敵する場面を目の前にしながら、同時にその中に僕がいる。それを舞台に圧縮された人生の劇が今まさに始まろうとしている。・・・ゴンドラは船着場の渚に着いた。

―――――――――――――             

 

ジョヴァンナ・カヴァッリ:黄金の仮面を架けて緋色の衣裳を漆黒のマントで覆い現われる。     

Bar Florian;コーヒーの香り立つ。

 

    「ジジ、お待たせしましたわ、私、誰だかおわかりになって?」

    「え?・・・その声は・・、まさかジョヴァンナ、・・・ジョヴァンナ・ヴェッツア― ニ?」

       「まあ嬉しいわ、ジョヴァンナよ、私の声お忘れでなかったのね、でも今はジョヴァンナ・カヴァッリ」

                  「はっ?・・・Giovanna Cavalli!・・・、するとシエナで僕にメッセージをよこしたのは・・G.C つまり君というわけ? まさか、可愛い少女は僕のことを“素敵なおじさん”とか言っていた。それにあの筆跡はまぎれもなく男のものだ。」 

                  「おほほ、ジジ、貴方早とちりだわ、私、メッセージの主人公ではありませんわ。第一、シエナになんか行ってませんもの、

若しそうだとしたら私、遠くからでもきっとじじ!と叫んで飛んで行ったわ。でも無理ないわ・・・おなじイニシャルですもの。実はその方、遠い私の御友達なの、「遠い友達?・・男の・・」

「そう、そうなの、申し訳ないわ、その方の代わりに私、此処へ来たの。わけは聞かないで、ただあの方、急に旅立たねばならなかったの・・

   「おかしな話だな。そしてG.C と言う方のフルネームとは?」

                 「今は申し上げられませんわ、言えることと言えば、ジジとナポリでお会いするずっ以前からの古い時を越えたお友達なの、

私、以前に古いヴェネチアに絡んでその事を貴方に語った覚えがあるわ、・・・私には、時を越えて消えることのない「影」の男がいると、じじ、その時貴方はおっしゃったわ、『そんなあてもない「影の男」とは別れろ』と、妬いていたわね、その男よ!・・ヴェネチアに生きる影なの、・・

G.C!、世紀を越えてこれと思う女を見詰め離すことのない影の男・・・」。

     「じゃ、ジョルジョ・カヴァッリとでも呼ぶ男かな?」、いいえ違うわ「カヴァッリというのは、ジジとあの夏、ナポリのヴォーメロの丘でお別れして間もなく結婚した男の姓よ。画家だったわ・・ジジと同じように、私がヴェネチアの女というだけで夢中になったのよ・・変わ           ってるわね」・・・さて、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」                                                                                                                                     抒庵

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