Sculptor Eiji Nitahara

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( 「 幽 艶」 2.)

(S. I 氏より第二の便り)
・・・・御親切なお手紙を頂戴し心開かれる思いでおります。自由な立場で美の世界を歩いて来られた貴兄の貴重なご経験が含蓄ある言葉となって心に沁みて参りました。今まで疎じたり見過ごしてきた為に、私如きが窺がい知ることのなかった奥深い世界に触れて行ける様な気がいたしております。心より感謝いたします。
思えば私の人生に「美」の門を開いてくれたのは、一冊の小さな本でした。「これはお前に残す僕のただ一つの方見だ」と言って兄が、中学生であった私に残してくれたのは和辻哲郎博士の「古寺巡礼」でした。手垢でぼろぼろになっていた文庫本は、兄の死、それも学徒出陣による戦死であることを考えると、又一片の遺骨すら帰還することの無かったことを思うと、その絶対の沈黙と無念を代弁する、兄の魂の生きた証言のように絶えず何かを語り訴えかけてくるのです。
そうでした。当時、兄の通っていた京都の大学では多くの学徒がその小さな一冊を懐に忍ばせて戦場に赴いたといいます。そのことは少年の私の胸に焼き付き、消えることのない鎮魂の碑を刻むよう訴えかけているようでした。
時の成熟は何時か、私をして兄と共に死んでいった汚れない純粋な魂と一緒に「古寺巡礼」への旅を促していました。生涯を懸けての供養と申してもよいでしょう。共に歩き、語り,歓び、学び・・・そしてそれは、私の紛れもないない独りの人間としての人生への門出でした。何のためらいも無く歳月は過ぎて行き、気が付くと私はひとかどの学究として大学にも定まった席を置いて、ひたすら学問の道を辿っていたのです。そんな或る時でした。私は思いもよらぬ運命の岐路に立たされることになったのです。・・・かれこれ拾年を遡ることになりましょうか・・・秋の学会で発表する研究論文の骨格に最後の活力と詰を与えようと思って斑鳩の里に中宮寺を訪れていた時のことでした。論文の主題は、奇しくも貴兄の『魂のアルケー、美のイデ―』で触れておられる京都・広隆寺の木彫弥勒菩薩半跏思惟像、そして奈良・中宮寺の木造、伝如意輪観音菩薩半跏思惟像の表現様式の比較研究についてでした。本当に貴兄とは益々不思議な縁で結ばれている様に思えてなりません。
その日も暑い一日が暮れようとしていました。法隆寺の伽藍の端然と波打つ甍は茜色に染まり、金堂や五重の塔の軒下に藍色の影が忍び寄っていました。私は、見知らぬ中年の婦人に託されたといって帰りしな中宮寺の尼僧が手渡して呉れた封書をポケットにしていました。宿へ帰り疲れをゆっくりと湯に流し、開封しました。読み始めるや否や私は烈しいショックと説明し難い興奮に襲われ、暫く呆然とした気を失いかけたのです。思いもかけない文面の内容もさることながら、その封書の中にもう一つの古びた和紙の、それも古文書のような封書が入っていてそれが私の息の根を停めてしまったのです。貴兄には・・貴兄であればこそと、私は間違っているのでしょうか、いや、貴兄はきっと解かって下さるでしょう。お伝えする内容は正確でありたいと存じますので、その見知らぬ夫人からの文脈をここに引くことにします。
 
 
・・・・S.I様
    ・・・斑鳩の里の夏日、今年も暑うございます。里は年毎に姿を変えて行くのでしょう。遠い白い記憶の中の、寺社の佇まい、砂埃り立つ鄙びた里の面影、崩れかけた築地塀が懐かしゅうございます。憶えば初めて此処を訪れた時のことが夢の様、半世紀も経とうかというのにその日は夏の陽射しと共に鮮やかに蘇ってまいります。
    当時、下鴨の女子学生でした私は、貴方様のお兄様と共にその日をこの斑鳩の里に過ごしました。夢の様な幸はせ、・・二人は一輪の白い蓮の花になって蒼い空に漂っていました。斑鳩に咲く一輪の「白い蓮の花」。お兄様と私の一つに溶け合った魂に咲く、永遠の命の花、私達は中宮寺の半跏女人菩薩像を飽かず眺めながら、そこに一輪の「白い蓮の花」を重ねていました。・・・蝉の音が堂内に古への静寂を運んでいました。時が経ちあの方は、菩薩像から目を逸らさないまま、その仄かに開く唇に向かって囁く様に語りかけられたのです。“君の中に咲く白蓮華、微笑む永遠の菩薩像・・私を君に重ねる・・・”。
    そして三日後、あの方は白い歯に微笑みを浮かべ帰らぬ旅へと発って行かれました。私に一通の封書を手渡されながら“これは僕の生きていた証しに・・君が二十歳になる日、開いてください”と言い残して・・・・
    黒い煙の尾を曳いて汽車が消え去った後に独りプラットホームに立つ少年の後ろ姿がありました。あの方の弟様でした。私と同じ様に必死に耐え、いつまでも立ちつずけておられました。その深い悲しみが私の胸に痛い程につたわって、気が付くと私は少年の背に掌を合わせ
祈っていたのです。“尊い女人の菩薩様、貴方様の宿す蓮の花、・・あの方の命に咲く花・・・・
とこしえに貴方様の中に憩いて、・・・“
 
                
花に問う
汝れはいずくぞ
斑鳩の
宮に咲きたる
白き蓮華
 
    夏の日は、今年も又巡って参りました。年毎にお兄様と一度だけ女人菩薩の御御堂でお会いする日、・・一昨日のことでした。私の胸は常になく高鳴っておりました。堂内に入りますと、爽やかな朝の逆光を浴びて静かに坐した男の方の横顔がありました。目を閉じて観想に没入される無心のそのお姿には何かひたむきなものがあって、私の目は釘付けにされたので御座います。菩薩様とその方の間で密やかにお言葉が交わされている様に感じられ、心打たれる思いでい息を鎮めておりました。あの方がそうであった様に、この方も菩薩様と同じように毅然としてお優しい姿勢での御対面でした。若しやしてあの方と同じようこの方も又、・・・“貴き君の中に咲く白い蓮の花・・吾を貴き君に・・吾を貴き君に・・”
 
    本当に不思議でございます。弟様の拝観者記載名の傍らに私の名を連ねましょうとは・・、あの方は、いいえ、お兄様はどんなにかお喜びのことでしょう。女人菩薩の取り結んでくださった縁(えに)しの不思議さに掌を合わせるばかりで御座います。貴方様にお兄様が最後に私に残された古い書き物をご覧いただきとう存じます。貴方様が美術の学問の道を歩まれそのため斑鳩の里にもしばしばお出でになるのは、私の長男から耳にしておりました。申し遅れましたが長男は貴方さまと同じ大学に学び、いまは西欧の美術、確か古代のエーゲ海とか地中海の古代美術を研究している様です。
    美に魅かれる男達の気持、どこか共通するものがある様な気がいたします。何故で御座居ましょう。・・・でも怖いと思いながら、そうした方に魅かれる女の気持、確かに在るので御座います。・・・素晴らしい、でも怖い!・・美を求めて異なる二つが一つになるのは何故か死を求めるように思えるのです。純粋な美であればある程、美は死を代償に求めますわ!お兄様は、きっと国の運命が非情に求めた「死」を前にして、その死を純粋な美の魂によってご自身の死になされたのだと思います。どうぞお兄様のお残しになった「優艶」をお読みくださいませ。
    あの方の微笑みに包まれて、御健やかな貴方様の日々をお祈り申し上げます。お目もじの機会あればと念じつつ・・                    
かしこ
198X年 7月 X日
Y.N
 
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これが今から十年ばかり前に、見知らぬ婦人 Y.N の私に宛てた手紙の全文です。

お察しの様に婦人は四十年程昔、二十歳で此の世を去った兄の最後に愛した女性です。恐らく生涯でただ一人の・・その愛は今もなお彼女の中に静かに住まい、ひっそりと息ずいているのです。

     婦人は戦後数年たって陶芸家と結婚し一男一女をもうけ、今は奈良の近くの木津に暮らしています。ある機会に長男と会ったことがありました。なかなか闊達で明るい青年でした。その気質のように古代地中海世界に強く魅かれ程なく留学生としてイタリアへ出発して行きました。どこかで貴兄と合い通ずる薫りの様な何かを感じていました。物心付く頃から母に連れられてよく大和や京の寺社仏閣に足を運んだそうです。屈託なく笑いながら、“父に反対されたのですが、古代エトルリアの陶棺夫婦像やアポロンの陶像の図版を開きながら、”いずれ僕は親父の窯を継ぐことにならのだ、と言ってうまく説得したのですよ“と私に語ってくれたのがとても印象的でした。この若者については、又、別の機会にどうしても触れねばならなくなるでしょう。

   所で,件の兄の残した「優艶」を読んで頂きましょう。 

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