Sculptor Eiji Nitahara

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(見知らぬ人からの手紙)1

前略、
 ・・・夢に、あの斑鳩の女人菩薩に誘われ、愉悦の境を彷徨ったという貴兄の噂を耳にしました。たとえそれが風の戯れであったとしても、私は貴兄が羨ましい。本当に羨ましい。若しできることであれば是非貴兄にお会いしたいのです。そして貴兄の夢にについて、又そうした希有な経験をされた経緯についても、もっと詳しくお聞かせいただければと・・・、かねてから私もそうした夢に与りたいものと念願しておりました。
   ともあれ、かかる不躾なおよんだ義、平にお許しください。それに私は、見知らぬ貴兄に強いお願いをするのですから、その訳を詳らかに致さねばなりません。告白しましょう。私は一介の美術研究家、いや、むしろ衒学の輩と称したほうがよいでしょう。いつの間にからか正統な学問の道からは外れてしまって、それも自分から好んで、と申し上げるのが真実でしょう。大和路の失われた古代時間の迷路を彷徨い歩いているのです。始まりも終わりも定かでない迷宮の路傍に、野の花の様に咲く古美術を季節を追って愛でているうちに、いつか落葉の齢を感じるようになりました。
   不滅の美は存在すると、そしてそれに出会った時、私の人生はどれ程に幸せだろう。恐らく私はその存在にただ感嘆し、ひれ伏すだけではない、一体となって融けあってしまうのだ。その瞬間、私の生命は此の世での形象を無くして絶対の美に永遠の住まいを見出すことになるだろう。本当にそう信じ、他愛なくもその観念に憑かれてしまったのは未だ少年の名残をとどめる大学に入る前のことでした。不思議なことにそれは遂、昨日のようでもありこうして貴兄にペンを走らせている現今(いま)のようでもあります。
   少々お喋りが過ぎてしまいました。御放免ください。書きつずるうちに何故か貴兄により親しみを感じていくようです。無視の知らせでしょうか、虫のいい思いこみでしょうか、きっとお会いしていただけるものとご返事を心待ち致しております。
 敬具、                       
199x年6月x日
                                                      
R.O 様 
 
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(見知らぬ人への返事)1
拝復、
   ご丁寧な内容のお手紙いただき、正直のところ面喰っております。斑鳩の里の古宿「蒼庵」で、つれずれに語ったことが貴方様の耳に入ろうとは、ほんの“風の戯れ”に過ぎぬものを、“つむじ風”が運んだのでしょうか。お手紙では私にお会いされたい由、それもお急ぎの様子。私のごとき漂泊の輩にと戸惑うのですが、貴方様の率直で何かを想い求めておられる御心情の吐露には、正直いって戸惑いを感じております。いずれは、ということで御放念いただければ大変有難いのですが・・・その代わりというわけではありません。この文面を借りて少し貴方様にお伺いしたいことをも含め、日頃、私が抱いています美についての考えをお聞きいただければ幸甚に存じます。
   噂で、私が美に携わる者であることはお聞き及びかと存じますが、貴方様のように学問研究を生業としている者ではありません。志し半ばで仏師たることを放棄し、今は自由に美を享受し表現を楽しんでいる者です。仏師断念の当時は自分の意思の弱さに忸怩たるものがありました。しかし時は次第にその挫折の心を癒しながら、「人間の心の奥底には美に導かれ魂の故郷と言いましょうか、人間存在のアルケーを求める憧憬が潜んでいて、折りに触れ人それぞれにその心の求めに応じて、信仰や美の形象に顕われ結実していくのだ」、ということを教えて呉れました。私の場合、仏像の厳しい図像学的制約に依ったのでは、恐らく魂の純粋さにおいて心が求める歪みのない形象には至らなかっただろうと云う得心でした。
   美しい女と出会って烈しい恋慕に陥入り相抱擁し一つに溶け合いたくなるのは、その女の生身の容姿に魂のアルケーの似姿を認めたからであって、然し地上での出来事は相対的なものでしかありません。ベアトリーチェは若くして此の世を去ったのですからダンテには魂の美しい絶対的なアルケーの似姿でありえたのだと想います。美学者である貴方様にこんなことを垂れるのはお門違いでしょうが、私も貴方様も所詮は生き身の人間、肉体でもあり官能でもあり魂でもあります。その魂は生き身の肉体を伴ってアルケーなるものを追って彷徨う。それが同じ生き身の女人なのか、あるいは形象や音の響きに顕われて来るイデ―なのか、私は京都・太秦の弥勒菩薩と斑鳩の女人菩薩と此の世の生身の女たちの三つを頂点にその間を折々の風に吹かれて気儘に尋ね歩くのです。
   貴方様がこの国の男性の多くが抱く様に、斑鳩の美人菩薩に純な慕情を寄せるのに何の不思議も感じないのです。ただその情念にはエロスの頂点にタナトスを請じ入れようという一途でせっかちな何かを感じないわけには参りません。違っておればお許し頂きたいのですが、何か秘められた理由があってのことなのかもと・・・、私の好奇心は、はしたなく蠢き始めるのです。否、そこはかなるやっかみの故でありましょうか。
   ただ私は貴方様に正直に申し上げたい事があります。私はかって斑鳩の女人菩薩に純なる慕情を抱いたこともなかったし、まして悩める魂を救い浄化してくれる慈悲の姿として心を揺さぶられたこともありません。ただある夜の夢にあの微笑む菩薩像が、不動の姿勢を解き生き身の女人として現われ、恥じらいもものかわ共に相擁し態を生み形を失い官能の海に麗艶に溶けていってしまったということです。比類なき貴顕の娼婦かな!そして醒めれば何事もなく不動の姿勢のままおわします.整合端正の形の中に・・・。空蝉の偽りの時に似て、と貴方様には不愉快でしょうが・・・、夢はしかし、それまで私の心にわだかまっていた或る一つの謎を解いてくれたようです。いや謎を解く鍵を残していって呉れました。きっと貴方様でしたら、それが何であるか御察しくださるだろうと信じます。ついつい多弁にすぎてしまいました。いずれお会いする機会もあろうかと存じます。先生のご健勝をお祈り申し上げつつペンを置きます。
敬具,                         199X 年6月X日
   S.Ⅰ 様                            R.D
 
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彫刻家二田原英二公式ホームページ