Sculptor Eiji Nitahara

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「古代ギリシャの人間化の意志について想うこと」

         ドーリス人に追われたアカイア人は何故アッティカの地であの先祖帰りをしたのだろうか。自己に内在するorigin{源流・源質}】を再確認するためであったのだろうか。それ故にあの造形形象を導くGeometry(ゼオメトリィ)は極めて数理的であって内在する源質の客観化を求めた結果であると思われる。それは汎エーゲ海ギリシャとして再生し脱皮するための当為であったのだろうか。古い記憶に横たわる世界像を「今」、外から観る心の成熟と時の隔たりがあったに違いなく、その世界像を陶土の生理的力学的条理に従って置き換えていく作業であったと思われる。従ってゼオメトリィは明快であり単純であって、端正な形状で一挙に解決されたと思われる。整理され明瞭にされた源形質(オリジン)、その根幹に流れる本質は存在に深く根ざし無窮に流れる音楽であり,幾つかの響きあう調音と律動性である。それはロゴス。

   アカイア人の先祖帰り、オリジン{源質}の確認作業は、こうした作陶の営為を重ねながら、かって内観に存在していた世界=宇宙を再び幾何学形象=音楽の数理性に結び付けることであった。目には見えない実在世界を目に見えるものとして確認することであった。肉体的本能的でありながら、極めて知的な行為であって内観世界は視覚の相で恣意性を矯められ客観化されねばならない。内観世界は対象化され文様化の知的作業が製陶の介在によってギリシャの明晰性を準備する。それは整合整理と単純化の過程である。こうして整理され客体化された幾何学文様、端正無比の形体からさらに浮上してくる新たなイメージがある。それは鮮明に人間化の形象を促すイメージであって、既に成熟しつつある精神がそのことを働きかけているからに外ならない。

   主体も又、客体も成長し関係を新たにしながら次元を変えていく。彼等の自信が自らの内に見出すアルケーなる人間(ペルソナ)の形象に、神々の面(マスケラ)を重ねたいとはっき意志する。人間(ペルソナ)と神々の劇が陶面に登場するのはそう遠くなく、はや地上に降り立ち競い合う日は迫っている。・・・・(生命と時間を獲得する原質の始原の初動は作陶が示すシンメトリーの幾何学性にあったのではないのだろうか)。               

抒庵

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彫刻家二田原英二公式ホームページ